アントニオ猪木
日本のプロレスラー、実業家、政治家 (1943-2022)
アントニオ猪木(アントニオ いのき、英語表記:Antonio-Inoki、1943年2月20日 - 2022年10月1日)は、日本の元プロレスラー、元参議院議員、事業家。本名:猪木 寛至(いのき かんじ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。 新日本プロレス創始者で元オーナー。愛称は「燃える闘魂」「アントン」。
語録
編集- いくぞー! 1! 2! 3! ダーッ!
- 腕を振り上げて「ダーッ!」と叫ぶパフォーマンスは従前から行っていたが、初めて表記のように観客にも促す形で行われたのは1990年2月10日、東京ドームにおける試合の後である。
- 馬鹿ヤロー!
- 元気ですかーっ!
- 元気があれば何でもできる!
- 元々はステーキレストラン店長の標語から借用。
- 馬鹿になれ!
- IGF設立時にはその後に"しかし紳士たれ"が付加されていた。
- いつ何時、誰の挑戦でも受ける
- 本来はプロボクシングにおける、チャンピオン認定の際に付される条件。認定証にも明記されていたが、ガッツ石松が真に受けて腕力沙汰を引き起こしたため削除された。
- 私のアゴの筋肉は鍛えられています
- たとえ時に試合を休むことがあっても激しいいい試合を見せる方が大事だと思うから、おめでとうとは言わない
- ジャイアント馬場がデビュー以来3000試合無欠場記録を達成した時の談話。もっとも、猪木は馬場と組んでインターナショナル・タッグの防衛戦が組まれていたのを雪で会場入りできずに穴を開けたことがある。
- 俺の首をかっきってみろ!
- 1983年8月28日、田園コロシアムのリング上で発言。
- 紙一重の差
- こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない。ただ、それがファンに対してのわれわれの義務ですから
- 1974年、ストロング小林戦の試合後に。
- 折ったぞー!
- アクラム・ペールワン戦で、相手の腕を折り
- ちょっと早い大掃除
- その気で来るなら俺は受けてやるぜー!手前ぇらの力で勝ち取ってみろ、コノヤロー!(世代闘争勃発)
- 神のお告げ
- 記者に物事の理由を聞かれた時に良く使われる
- 折れ!折れ!
- 足4の字固めをかけられながら、ポイントを指で指しながら
- 坂口? 片手で3分だよ
- それを聞いた坂口は、「俺は片手じゃなくて両手で1分だ!」答えた。
- 相手の力を9引き出して10の力で勝つ(いわゆる“風車の理論”)
- 極める角度が違う、逆だよ
- 藤原喜明との試合中、藤原の関節技をかけられながら
- 出る前に負けること考えるバカいるかよ!
- 1990年2月10日の東京ドーム大会で行われた、蝶野正洋・橋本真也とのタッグ戦(パートナーは坂口征二)の試合前、当時ワールドプロレスリングに出演していた佐々木正洋アナの負けた場合の進退問題についての質問に対して。この時、さらに猪木は質問した佐々木アナを張り飛ばした。
- 道はどんなに厳しくとも、笑いながら歩こうぜ!
- やれるのか、おい!
- どーですか!
- 1987年12月27日、たけしプロレス軍団の挑戦を受けた際に、観客に呼び掛けた言葉。「どーですか、お客さん!」は井手らっきょのネタであり、猪木自身は実際に「お客さん」とは言っていない
- 命がけで勝負します。誰でもかかって来い! その代わりテメーも覚悟して来い!
- 何でもアリのモハメッド
- 秋は行ってしまったけれど、高田の妻は向井亜紀
- お前はそれでいいや
- リング上で中西学に「お前は何が許せないんだ?」と問い「全日本プロレスに行った武藤です!」と答えたことに対して
- まあ、それぞれの想いがあるからさておいて、テメエらがホントの怒りをぶつけて、ホントの力を叩きつけるリングをお前たちが作るんだよ。オレに言うな。俺は3年、4年だ、引退して。テメエ達の時代、テメエ達の・・・自分で作れよ!いいか!
- 俺は触ってねーですから
- 新日の興行がこけた際
- 私をミスター・タバスコと呼んでください
- どうってことねえよ
- 多額の負債を背負った際
- 馬場さんの死に水は俺が取る
- ルールを守れ! 殺すぞ!
- 猪木が笑えば世界が笑う
- 出ればタイソン、戻ればヒクソン
- 「1! 2! 3! 抱っこしたい!」
- 「ブスには気をつけろ!! ブスッと刺されるからな」
- テレビの生放送中こう言って出演者を慌てさせた。
- 「『アントニオ』という名前は日本で『鈴木』や『佐藤』という名前が多いようにブラジルではありふれた名前」
- リングネームの由来を聞かれて。しかし「鈴木」や「佐藤」はファミリーネームであるが、「アントニオ」はファーストネームである。
アントニオ猪木に対する言及
編集- ペリカン野郎! -- モハメド・アリ
- 1976年6月、異種格闘技戦試合前の記者会見で。それに対して猪木は「オレのアゴは尖っているからそれだけ強い」「日本語をひとつ教えてあげよう。アリとは日本で虫けらを指す言葉だ」と応えた。