イエス・キリスト

キリスト教の中心人物

本頁では、イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 29年頃)あるいは「ナザレのイエス」として知られる人物が語ったと伝承されているものを扱う。このような語録は、偉大な霊的な師であり、また殉教者としてのよく知られた伝承よりも幾らか多くの人には馴染みがなく、むしろ2千年前にはガリラヤでのイエスの詩として知られたものだろう。

聖書からの引用

編集
  • 神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたか?(エリ・エリ・レマ・サバクタニ?)
    Ηλι ηλι λεμα σαβαχθανι. - ギリシャ語
    Eli, eli, lema sabachthani? - アラム語
『マタイによる福音書』27章46節より。
  • エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ
    Ελωι ελωι λεμα σαβαχθανι. - ギリシャ語
『マルコによる福音書』15章34節より。こちらはアラム語の音写である。アラム語はイエスや弟子たちの用いた言葉であったテンプレート:要出典。『旧約聖書』「詩編」22編からの引用。
  • ひとはパンだけによって生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。
    Non in pane solo vivet homo sed in omni verbo quod procedit de ore Dei. - ラテン語
『マタイによる福音書』4章4節より。パンはギリシア語「アルトス」の訳語。「糧」と訳される場合もある。また「言葉」はギリシア語 epiousios の訳語で、聖書中はこの箇所のみに用いられる。『旧約聖書』「申命記」8章3節からの引用。
  • 私の掟はこれである。私があなたがたを愛したように、あなた方も互いを愛しなさい。
    Hoc est praeceptum meum, ut diligatis invicem, sicut dilexi vos; - ラテン語
『ヨハネによる福音書』15章12節より。
  • あなたがたの敵を愛せ。- マタイ5:44
  • 狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。- マタイ7:13
  • 狐には穴があり、天の鳥には巣がある。ただ人の子には横たわるところがない。- マタイ8:20
  • 私が来たのは義人を招くためではない。罪人を招いて悔い改めさせるためである。- マタイ9:13
  • 人の子は安息日の主である。- マタイ12:8
  • 二人あるいは三人が私の名によって集まるところには、私もいる。- マタイ18:19
  • カエサルのものはカエサルに収め、神のものは神に納めよ。- マタイ22:21
  • 剣を取る者は皆、剣で滅びる。- マタイ26:52
  • 裕福な者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。- マルコ10:23
  • 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。- マルコ10:25
  • 人その友のため命を捨てるこれより大いなる愛はない。-ヨハネ15:13
  • いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。-テサロニケの信徒への手紙1 5:16-18
  • 人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。- マタイ7

イエス・キリストに関する引用

編集
  • こんにちは、恵まれた女性よ。主はあなたとともにおられる。- ルカによる福音書1:28
    Ave, gratia plena. Dominus tecum. - ラテン語
  • 主の名によって来る者は、祝福される。- ルカによる福音書13:35
    Benedictus, qui venit in nomine Domini. - ラテン語


 
Wikipedia
ウィキペディアにもイエス・キリストの記事があります。
 
Wikipedia
ウィキペディアにもナザレのイエスの記事があります。