テレサ・テン
台湾の女性歌手 (1953-1995)
テレサ・テン(1953年1月29日 - 1995年5月8日、本名は鄧麗筠、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手及び女優、民主活動家、慈善家。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。
父親は中国河北省邯鄲市、母親は中国山東省出身で共に外省人で、また父親は元中国国民党軍の職業軍人である。
発言
編集- 私はチャイニーズです。世界の何処に行っても、何処で生活しても、私はチャイニーズです。だから、今年の中国の出来事全てに私は心を痛めてます。中国の未来が何処にあるのか?とても心配しています。私は自由で居たい。そして全ての人たちも自由で在るべきだと思っています。それが脅かされて居るのがとても悲しいです。でもこの悲しくて辛い気持ち、いつか晴れる。誰もがきっと分かり合える、その日が来る事を信じて私は歌って行きます。
- 1989年10月、同年6月に起こった天安門事件についての発言
- 私が中国大陸に戻って歌うその日は、三民主義に基づく中国統一の日です。大陸で民主主義が実現される日まで、私が中国大陸に足を踏み入れることは永遠にありません……
- 天安門事件の後、大陸中央テレビ局副局長の洪民生に対して言ったとされる
- あなたが繁栄している時、外部の人々は栄冠や後光を見ます。しかし、その背後にある大変な努力と苦難には気付かないかもしれません[1]。
- あなたは運命を信じますか?私は人生には予測困難な変化があるとしても、チャンスが訪れた時には、やはり自分の力で掴む必要があると思っています。私はしばしば回想します。私が音楽界に足を踏み入れた日々の一幕一幕の出来事、それを今でもまるで昨日の事のように覚えています[2]。
- 禁止される事は、永遠に勲章授与の無い栄誉です[3]。
- 私は一人の人間にとって学識が最も重要だと思います。知識と見識のある人こそが成功すると思います[4]。
- もし将来映画を撮影するなら、私は恋愛や文学的な映画は撮りたく無いし、ましてや歌唱映画は撮りたくない。愛国的で意義のある映画を撮りたいと思っています[5]。
- 親愛なる大陸の同胞の皆さん、こんにちは、私は鄧麗君です。私は現在金門島の放送局から大陸沿岸の同胞に向けて放送しています。私が今日皆さんにお伝えしたい事は、私はここ、自由な祖国の最前線、金門島に立ってとても嬉しく、非常に幸せな気持ちだと言うことです。私は大陸の同胞も私たちと同じように自由と民主主義を享受出来ることを望んでいます。自由で、民主的で、豊かな生活環境があってこそ、一人一人が理想を実現する機会が得られます。そして、全ての青年が自由に聡明な知恵を発揮出来てこそ、国家の未来は希望と輝きに満ちたものになります。私は近いうちに再び金門島を訪れ、金門島の仲間たちと会うことを望んでいます。もちろん、大陸沿岸の同胞とも話したいです。皆さんの健康を祈ります。民主主義万歳!ありがとうございました。
- 1991年、金門島の放送局から中国大陸へ向けての発言