ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

ドイツ空軍の軍人

ハンス=ウルリッヒ・ルーデルHans-Ulrich Rudel)ナチスドイツの軍人。

ルーデルの言葉

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  • 「それにしても勘のにぶい軍用犬だ」(1944年3月20日、撃墜されソ連軍から逃亡中、ソ連軍の軍用犬に対して)
  • 「今、このまま帰国する気持ちにはなれない」(1944年3月24日、満身創痍の状態にて帰還した際に)
  • 「すべてが静かに、まるで死んだように見える」(1944年3月27日、戦車26輌撃破後の偵察飛行中にて)
  • 「ガーデルマンは肋骨を三本折っていた。休養などはとっていられない。すぐに出撃だ!」(1944年11月、撃墜され自分も重傷を負った状態で帰還した際に)
  • 「総統、もし私が飛行大隊と行動を共にするのが許されないのでしたら、私は受賞と昇進とを辞退申し上げたいと存じます」(1945年1月1日、黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章の授章式でヒトラーに対して)
  • 「イワンめ、また新型を造りおったか」(1944年10月末、発見したソ連軍の新型戦車に対して)
  • 「よし行こう。すぐ退院だ」(1944年10月、入院先でソ連軍の侵攻を聞いて)
  • 「ちょっと試験飛行をしただけです」(1945年、無断出撃について問い詰めてくる上官に対して)
  • 「ただ一つ大事なことは、この現在の危急存亡の時に際して、私が少なくとも数週間飛べないということだ」(1945年2月9日、右脚を失った際に)
  • 「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」(1945年5月7日、航空機でソ連軍包囲網を脱出しアメリカ軍へ投降しに向かう途中に襲ってきたソ連軍戦闘機に対して)
  • 「ここはドイツだ。英語が話せたって、ドイツ語以外は喋ろうと思わない。どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。シュトゥーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したからに過ぎない。我々がここに来たのも、ソ連地域にとどまるのを欲しなかったからだ。 ま、そんなことはどうでもいい。身体を洗わせてもらいたい。それから何か食べ物が欲しい」(1945年5月7日、降伏時にアメリカ軍将官と対面した際、英語を話せるかと通訳に問われたときの返答)
  • 「真実を真実として告げるのが、なぜ典型的なのだろう。それが、どうして非難の口ぶりで語られねばならないのか」(降伏時にアメリカ兵から典型的なナチ将校だと罵られた時の返答)
  • 「わたしには、これという秘訣はなかったのだが……」(1945年、敗戦後に「何故あのような遅い機体(Ju87)であれだけ出撃(2500回)し、生き残ることが出来たのか?」と尋問をする英米軍将校に対して)
  • 「操縦が恐ろしく難しい機体」(Ju87G型について。事実、Ju87に37mm砲2門を搭載したことで飛行時の安定性は著しく低下しており、些細な操縦ミスでもバランスを崩し墜落する危険性があった。)
 
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