ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)
イギリスの政治家
第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル(Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston, KG, GCB, 1784年 - 1865年)は、イギリスの政治家。19世紀半ばに2度、首相を務めた。イギリスが絶頂期の時に外交を仕切った政治家でパックス・ブリタニカのシンボル的存在。
出典が明らかなもの
編集- それゆえに諸国を英国の永遠の味方、もしくは永久の敵とみなすのは狭い了見だ。永遠の味方もいなければ永久の敵もいない。我々の利益は永遠で永久だ、そしてそれに従うことこそが我々の義務である。
- Therefore I say that it is a narrow policy to suppose that this country or that is to be marked out as the eternal ally or the perpetual enemy of England. We have no eternal allies, and we have no perpetual enemies. Our interests are eternal and perpetual, and those interests it is our duty to follow.
- 1848年3月1日 英国下院にて
出典不明
編集- 責任は私が取る。(出張からロンドンに帰る際、汽車を逃したため特別急行を出すように駅長に言って危険性から反対されたために言った言葉といわれている。)