ラマナ・マハルシ

ラマナ・マハルシ (’’’Ramana Maharshi’’’, 1879年 - 1950年)、インディアンの第一人者でした。

ラマナ・マハルシ

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  • あなたの無知が眠りの証拠であり、あなたの気づきが目覚めの証拠なのです。
    Your ignorance is the evidence of sleep: your awareness is that of wakefulness.
  • あなたがどれだけ他者にアドバイスを与えようとも、その人は自分を正そうとはしないでしょう。あなた自身が正しくあればいいのです。そしてただ静かにしていなさい。あなたの言葉や行動よりも、静かにしているほうが影響力を持つのです。
  • 周囲の環境でさえ、あなたの意のままにはなりません。 それらは、ただあるがままなのです。 ただ超然として、周囲の環境に巻き込まれずにいなさい。
  • 何であれ起こらない運命にあることは、いかにあなたが試みようとも起こらないでしょう。何であれ起こる運命にあることは、いかにあなたが避けようとしても起こるでしょう。これは確実です。それゆえ、最善の策は沈黙にとどまることです。
  • 存在したものは常に在りますが、かつて一度も存在したことのないものは存在することができません。誕生とは何でしょうか。死ぬとはどういうことでしょうか。目覚めていることが誕生であり、眠っていることが死なのです。
  • なぜ死んだ人々のために深い悲しみがなくてはならないのでしょうか。死んだ人々は束縛から解放されています。死んだ人についての想いのなかに入り込むことによって、真我が深い悲しみをつくり出しているのです。
  • 死は相次いで起こる二つの誕生の間に存在する眠りであり、一方、眠りは二つの目覚めの状態の間にあるものであり、いずれも束の間のものです。大災害などが起こったときには、真の知識を少しは持ち合わせている人々でさえ、冷静さを失います。眠っている間、人は幸福です。
  • 沈黙は雄弁です。 言葉による教えは沈黙のように雄弁ではありません。 沈黙は絶えず雄弁なのです。
  • 死を意識すること、そして 不滅を意識することが進化の目的なのである。
  • 死を恐れる者が、不生不死なる至高の主の御足元に加護を求めるとき、彼らの自我と執着は死に絶える。不死となった彼らが、死を恐れることなどもはやない。
  • 「静かに在る」ということは、「考えない」ということです。
  • 「聖書」が述べる天の王国とこの世界は別の領域ではありません。「天の王国はあなたの内にある」と「聖書」は述べています。その通りです。実現した人はこれを「天の王国」と見、他の人はそれを「この世」としてみます。ただ見る角度が違うだけです。
  • 学ぶべきこと、討論すべきこと、結論を導き出すことなど何もないということです。
    There is nothing to be learnt, discussed and concluded.
 
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