丹羽忠明

日本の江戸時代の剣術家

丹羽忠明(万治2年3月27日(1659年) - 寛保元年4月9日(1741年))編集

丹羽十郎左衞門忠明、号で丹羽樗山とも。佚齋樗山子の筆名で芸道書を著す。


天狗藝術諭編集

享保14年(1729年)刊

巻一編集

  • 事の熟するにしたがつて氣融和し、其のふくむ所の理おのづからあらはれ、心に徹してうたがひなきときは、事理一致にして氣収り、神定つて應用無礙なり、是いにしへの藝術修行の手段なり、故に藝術は修錬を要とす、事熟せざれば氣融和せず、氣融和せざれば形したがはず、心と形と二つに成て自在をなすことあたはず
  • 心體開悟したりとて、禪僧に政をとらしめ一方の大將として敵を攻めるに、豈よくその功を立てんや、その心は塵勞妄想の蓄へ無しと雖ども、その事に熟せざるが故に用をなさず
  • 問ふ、然らば禪僧の生死を超脱したる者は劔術の自在をなすべき歟、
曰く、修行の主意異なり、彼は輪廻を厭ひ寂滅を期して、初より心を死地に投じて生死を脱却したる者なり、故に多勢の敵の中にあつて、此形は微塵になるとも、念を動ぜざることは善くすべし、生の用はなすべからず、唯死を厭はざるのみ、聖人死生一貫といふは是に異なり、生は生に任せ、死は死にまかせて、此心を二つにせず、唯義の在所に隨て其道を盡すのみ、是を以て自在をなすものなり
  • 一、問ふ、古來劔術者の禪僧に逢て其極則を悟りたる者あるのは何ぞや、
曰く、禪僧の劔術の極則を傳へたるにはあらず、只心にものよきときはよく物に應ず、生を愛惜するゆへにかへつて生を困しめ、三界窩窟のごとく一心顛動するときは、この生をあやまることをしめすのみ、彼、多年この藝術に志し、深く寝席を安んぜず、氣を錬り事を盡し、勝負の間において心猶いまだ開けず、憤懣して年月を送る所へ、禪僧に逢て生死の理を自得し、萬法惟心の所變なる所を聞て、心たちまちにひらけ神さだまり、たのむ所をはなれて此自在をなすものなり、これ多年氣を修し事にこヽろみて、其のうつはをなしたるものなり、一旦にして得るにはあらず、禪の祖師の一棒の下に開悟したるといふも此に同じ、倉卒の事にあらず、藝術未熟の者、名僧知識に逢たりとて開悟すべきにあらず