仏説大般涅槃経

『マハーパリニルヴァーナ・スートラ(Skt:mahaaparinirvaana-suutra)』。部派仏教と大乗仏教とで数種の涅槃経が存在する。

大般涅槃経(北本)

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北涼の曇無讖訳。40巻本。大乗の涅槃経。


  • 一切の衆生には、尽く仏性あり。
    一切衆生、悉有佛性。
    あらゆる生きとし生けるものには、ことごとく皆な仏性(仏となる種)が備わっている。


諸行無常偈(雪山偈)
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  • 諸行は無常、是れ生滅の法なり。生滅の滅し已(おわ)れば、寂滅を楽となす。
    諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂。
    Skt:aniccaa vata saGkhaara uppaadavayadhammo uppajjitvaa nirujjhanti tesaM ruupasamo sukho
    あらゆる存在に不変なものはありえず、それらは生じて滅するものである。生じ滅して常のない法自体が滅してしまえば、寂滅(=涅槃)が楽なのである。
    雪山童子が羅刹に姿を変えた帝釈天から前半の2句を聞き、自らの命と引き換えにしても、後半の2句を聞こうとしたという、法隆寺の玉虫厨子の側面に描かれる「施身問偈」図で広く知られる挿話として、大般涅槃経に説かれる偈文。また、いろは歌が詠んでいる内容は、この偈文のものであるとして古来知られる偈である。「諸行無常」は『平家物語』の冒頭でも著名である。


衆盲象を評す
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  • 譬えば王あり、一大臣に告ぐが如し。汝一象を牽き、以って盲者に示せ、と。爾の時大臣、王の勅を受け已り、多く衆盲を集め、象を以って之に示す。時に彼の衆盲、各々手を以って触る。大臣即ち還り、而して王に白して言う、臣已に示し竟んぬ。爾の時大王、即ち衆盲を喚び、各各問いて言う、汝象を見るや、と。衆盲各々言う、我已に見るを得たり、と。王の言う、象は何の類たるや、と。其の牙を触れたる者は即ち言う、象の形は萊茯根の如し、と。其の耳を触れたる者は、象を箕の如しと言う。其の頭を触れたる者は、象を石の如しと言う。其の鼻を触れたる者は、象を杵の如しと言う。其の脚を触れたる者は、象を木臼の如しと言う。其の脊を触れたる者は、象を床の如しと言う。其の腹を触れたる者は、象を甕の如しと言う。其の尾を触れたる者は、象を繩の如しと言う。善男子よ、彼の衆盲が如きは、象体を説かず、また説かざるに非ず。若し是の衆相、悉く象に非ずんば、是を離るるの外、更に別象なし。善男子よ、王は如来の正遍知に喩うるなり。臣は方等大涅槃経に喩う。象は仏性に喩う。盲は一切無明の衆生に喩う。
    譬如有王、告一大臣。汝牽一象、以示盲者。爾時大臣、受王勅已、多集衆盲、以象示之。時彼衆盲、各以手觸。大臣即還、而白王言、臣已示竟。爾時大王、即喚衆盲、各各問言、汝見象耶。衆盲各言、我已得見。王言、象爲何類。其觸牙者即言、象形如萊茯根。其觸耳者、言象如箕。其觸頭者、言象如石。其觸鼻者、言象如杵。其觸脚者、言象如木臼。其觸脊者、言象如床。其觸腹者、言象如甕。其觸尾者、言象如繩。善男子、如彼衆盲、不説象體、亦非不説。若是衆相、悉非象者、離是之外、更無別象。善男子、王喩如來正遍知也。臣喩方等大涅槃經。象喩佛性。盲喩一切無明衆生。