北宋 初代皇帝 趙匡胤 編集

  • 南漢の最後の君主劉鋹は、好んで毒酒を盛って臣下を毒殺していたことがあった。降伏後、趙匡胤の巡幸に従った時、趙匡胤より酒杯を勧められると、自身を毒殺しようとしてるのではないかと疑い、泣いて「臣(私)の罪は許されるものでありませんが、陛下は私を殺さないでいてくれました。どうか開封の庶民として泰平の世を過ごさせてください。どうかこの酒杯を飲ませないでください」と言った。これに対し趙匡胤は笑って、「自分は人を篤く信頼している。どうして汝だけ信じないことがあろうか」と言い、その酒杯を取り自ら飲み、新しく酒を酌んで劉鋹にも飲ませたという。[1]
  • 「古の帝王のの世の中は4人の悪人を追放するだけであったが、今の世の中は法が網のように密である。」[1]

北宋 第二代皇帝 太宗 編集

  • 「彼らはただの島夷だと言うのに、なんとその血統ははるか昔から続いており、臣下もまた世襲して絶えることがない。思うにこれこそ古の道だろう。中国は唐李の乱で国は分裂し、からに至る五代はいずれも長く続かず、大臣の子等も世継ぎとなれる者はごく僅かだった。朕の徳は往時の聖人には劣るといえども、常に早朝から夜分まで慎み深くし、治世の根本に考えを巡らし、決して無駄な時を過ごさず、この国を限りなく続くものとし、末永く続く範を垂れ、もって子孫繁栄の礎とし、大臣の後を世襲させ、禄と官位を継がせる。これこそ朕の心からの願いである。」[2]

出典 編集