永井荷風
小説家 (1879-1959)
永井 荷風(ながい かふう、1879年〈明治12年〉12月3日 - 1959年〈昭和34年〉4月30日)は、日本の小説家
出典の明らかなもの
編集- 江戸時代の随筆日記の類を見るに時世の奢侈に流れ行くを慨嘆せざるものなし。天明の老人は天明の奢侈を嘆きて享保の質素を説き文化文政の古老はその時代の軽浮を憤りて安永天明時代の朴訥を慕えり。明治に残存せる老爺は江戸の勤約を称し大正の老人は明治時代の現代に優れるを説いて止まず。時代と人とを異にすと雖もその筆法は皆一律なり。後人の回顧して追慕する処の時代はこれ正に先人の更に前代を憶うて甚喜ばざるの時代なりしにあらずや。此を以て之を看れば老夫の感慨全く理に当たらず。然りと雖も人老ゆるに及んで身世漸く落寞の思いに堪えず壮時を追懐して覚えず昨是今非の嘆を漏らす。蓋し自然の人情怪しむに足らざるなり。--『偏奇館漫録』
- 此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折〻鉛筆もて手帳にかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数もかさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬ
- かぞへ見る日記の巻や古火桶
- 五十有五歳 荷風老人書--『断腸亭日乗』〔はしがき〕
- 時勢がよければ自分は都の花園に出て、時勢と共に喜び楽しむ代り、時勢がわるければ黙つて退いて、象牙の塔に身を隠し、自分一個の空想と憧憬とが導いて行く好き勝手な夢の国に、自分の心を逍遥させるまでの事である。--『虫干』
- 「細雪」上中の二巻を通読して、わたくしの得た印象を述べると、教養ある関西人の生活の裏面、その感情の根柢には今日もなおゆるやかなる平安朝時代の気味合の湮滅せずに存在している事である。この一事は東京に成長して他郷を知らないわたくしには非常なる興味を催さしめた。篇中東京へ移住しなければならない若き婦人が、暫く関西を後にする名残りに、家族と共に嵐山に花を見に行く情味の如きは、蓋しその一例である。何となく平家物語に見るような情調が、今なお関西人の胸底には潜み隠れているのである。彼等が嵐山の看花はわれわれ東京の人が曽て年々隅田川に花を見た時の感情とは全く異るところがある。--『細雪妄評』