「辞世の句」の版間の差分

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[[w:辞世の句|辞世の句]]に関する引用。 辞世、遺言とも
 
 
*大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし -[[日本武尊]]
 
*さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも -[[弟橘姫]]
 
*磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む
*家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る --『萬葉集』巻二 -[[有間皇子]]
*ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く[[鴨]]を 今日のみ見てや[[雲隠り]]なむ
*:百傳磐余池尓鳴鴨乎今日耳見哉雲隠去牟 --『萬葉集』巻三 -[[大津皇子]]
*金烏西舎に臨らひ 鼓声短命を催す 泉路賓主無し 此夕家離りて向ふ -大津皇子
*:金烏臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向 『懐風藻』辞世
 
*鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ --『萬葉集』巻二 -[[柿本人麻呂]]
 
*士(をのこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして --『萬葉集』巻六 -[[山上憶良]]
 
*願わくば坐して死なん -鑑真和上
 
 
*心形久しく労して 一生ここに窮まれり -[[最澄]]
 
*つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを -[[在原業平]]
 
*夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき -藤原定子
 
*父を斬る子、子に斬らるる父、斬るも斬らるるも宿執の拙き事、恥ずべし恥ずべし、恨むべし恨むべし -[[源為義]]
*:[[w:保元の乱]]で実子義朝の手にて処刑
 
*埋れ木の花さく事もなかりしに身のなるはてぞ悲しかりける -[[源頼政]]
 
*やがて討手を遣わし、頼朝の首をば刎ねて、我が墓の前に懸くべし、それぞ孝養にてあらんずる -[[平清盛]]
 
*行きくれて木の下のかげを宿とせば花や今宵の主ならまし -[[平忠度]]
 
*浪の下にも都のさぶらうぞ -二位尼平時子
 
*見るべき程の事は見つ、いまは自害せん -[[平知盛]]
 
*願わくば逆縁をもって順縁とし、只今最後の念仏によって、九品蓮台に生を遂ぐべし -[[平重衡]]
*願はくは[[花]]の下にて[[春]][[死|死なむ]] そのきさらぎの望月の頃 -[[西行]]
 
*でてなば主なき宿と成ぬとも 軒端の[[梅]]よ[[春]]をわするな -[[源実朝|源實朝]]
 
*我なくも法は尽きまじ和歌の浦あをくさ人のあらん限りは -[[親鸞]]
 
*渾身覓むるなし 活きながら黄泉に落つ -[[道元]]
 
*業鏡高く懸ぐ三十七年、一槌打ち砕けば、大道坦然たり -[[北条時頼]]
 
 
*[[秋]]を待たで葛原岡に消える身の[[露]]のうらみや世に残るらん -[[日野俊基]]
 
*古来の一句 死も無く生も無し 万里雲尽きて 長江水清し -日野俊基
*:[[w:元弘の変]]にて処刑
 
*身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う -[[後醍醐天皇]]
*[[五月雨]]は露か[[涙]]か[[時鳥|不如帰]]我が名をあげよ[[雲]]の上まで -[[足利義輝]]
 
*返らじとかねて思えば梓弓 なき数に入る名をぞ留むる -楠木正行
*[[極楽]]も[[地獄]]も先は有明の[[月]]の心に懸かる[[雲]]なし -[[上杉謙信]]
 
*かかる時さこそ命の惜しからめかねて亡き身と思い知らずば -[[太田道灌]]
*:主家上杉邸で暗殺された時、「当方滅亡!」と叫んだという。
 
*[[五月雨]]は露か[[涙]]か[[時鳥|不如帰]]我が名をあげよ[[雲]]の上まで -[[足利義輝]]
 
*おのづから枯れ果てにけり草の葉の主あらばこそ又も結ばめ -諏訪頼重
 
*大ていは[[地]]に任せて肌骨好し紅粉を塗らず自ら風流 -[[武田信玄]]
 
*なお三年、わが喪を秘せよ -武田信玄
 
*[[極楽]]も[[地獄]]も先は有明の[[月]]の心に懸かる[[雲]]なし -[[上杉謙信]]
 
*四十九年一睡夢、一期栄華一盃酒 -上杉謙信
 
*七転八到 四十年中 無自無他 四大本空 -朝倉義景
 
*おぼろなる月もほのかに雲かすみ晴れて行くへの[[西]]の山のは -武田勝頼
*黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒 -北条夫人
*:武田勝頼夫人
 
*心頭滅却すれば火も自ら涼し -快川紹喜
*:恵林寺の僧。武田家滅亡に際し六角義弼を隠匿し、織田信長の引渡要求を拒み一山の僧共に焼死。
 
*是非に及ばず -[[織田信長]]
 
*順逆二門に無し大道心源に徹す五十五年の[[夢]]覚め来れば一元に帰す -[[明智光秀]]
 
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*昔より主をば討つ身の間なれば報いを待てや[[豊臣秀吉|羽柴筑前]] -織田信孝
 
*吹きと吹く風な恨みそ花の春紅葉も残る秋あらばこそ -北条氏政
*露と落ち露と消えにし我が身かな[[浪速]]のことは夢のまた夢 -豊臣秀吉
 
*生七十力囲希咄吾這寶剣祖佛共殺堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛 -[[千利休]]
 
*十方仏土の中とある時は、方角は入らざるものなり -豊臣秀次
* 罪をきる弥陀の[[剣]]にかかる身のなにか五つの障りあるべき -駒姫
 
* 罪をきる弥陀の[[剣]]にかかる身のなにか五つの障りあるべき -駒姫
*:豊臣秀次の側室
 
*露と落ち露と消えにし我が身かな[[難波|浪速]]のことは夢のまた夢 -豊臣秀吉
 
*散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ -[[細川ガラシャ]]
 
*この頃の厄妄想を入れ置きし鉄鉢袋今破るなり -[[佐々成政]]
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*碁なりせば劫(コウ)なと打ちて生くべきに[[死]]ぬるばかりは手もなかりけり -本因坊 算砂(ほんいんぼう さんさ)
*曇りなき心の月を先だてて浮世の[[闇]]を照してぞ行く -[[伊達宗]]
 
*全身を埋めて、ただ土を覆うて去れ。経を読むことなかれ -[[沢庵|沢庵宋彭]]
 
*武蔵野の草葉の末に宿りしか都の空にかえる月かげ -東福門院和子
 
*[[風]]さそふ[[花]]よりもなほ我はまた[[春]]の名残を いかにとやせん -野長矩
 
*あら楽や思いははるる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし -[[大石蔵之助|大石藏之助]]
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*こしらへて有りとは知らず[[西]]の奧 -早野巴人
 
*浮世の月見過しにけり末二年 -[[井原西鶴]]
*しら[[梅]]に明(あく)る夜ばかりとなりにけり -[[与謝蕪村]]
*:「人間五十年の究まり、それさえ我にはあまりたるに、ましてや」と前置。
 
*旅に病んで夢は枯野をかけ廻る -[[松尾芭蕉]]
 
*しら[[梅]]に明(あく)る夜ばかりとなりにけり -[[与謝蕪村]]
 
*世の中の厄をのがれてもとのまま帰るは[[雨]]と土の人形 -[[曲亭馬琴]]
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*この世をばどりゃお暇(いとま)に線香の煙とともに 灰(はい)左様なら -[[十返舎一九]]
 
*裏を見せ表を見せて散る紅葉 -[[良寛]]
* 身ハたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂 -[[吉田松陰]]
 
* 身たとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂 -[[吉田松陰]]
**『留魂録』、処刑直前の書。一般に辞世として知られる。
* これほどに思定めし出立をけふ聞く声ぞそうれしかりける
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*動かねば闇にへだつや花と[[水]] -[[沖田総司]]
*君が為尽くす心は水の泡消えにし後は澄み渡る空 -[[岡田以藏]]
 
*なよ竹の風にまかする身ながらもたゆまぬ節はありとこそ知れ -西郷千重子
*ただ皇天后土のわが心を知るのみ -[[江藤新平]]
 
*嗚呼、天なり -[[村田新八]]
 
*願はくはのちの蓮の花の上にくもらぬ月を見るよしもがな -[[大田垣蓮月]]
*うつし世を[[神]]さりましし大君のみあとしたひて我はゆくなり -[[乃木希典]]
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*すがすがし暴風のあと月清し -[[大西瀧治郎]]
 
*一死、大罪を謝す -[[阿南惟幾]]
*悔いもなく怨みもなくて行く黄泉(よみじ) -[[松岡洋右]]