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*陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに --『[[小倉百人一首]]』
 
== 亡霊の託宣 ==
 
*而るに(延長四年(926年))去月二十五日、大臣(=融)の亡霊、忽ち宮人に託して申して云う、我れ在世の間、殺生を事と為す。その業報に依りて、悪趣に堕つ。一日の中、三度苦を受く。剣林に身を置き、鉄杵にて骨を砕かる。楚毒の至痛なることは、具に言うべからず。唯だその笞掠の余、拷案の隙、昔日の愛執に因りて、時時来たりて此の院(=宇多院)に息うのみ、と。 -- 「宇多院為河原左相府没後修諷誦文」(『本朝文粋』)
*:而去月二十五日、大臣亡霊、忽託宮人申云、我在世之間、殺生為事。依其業報、堕於悪趣。一日之中、三度受苦。剣林置身、鉄杵砕骨。楚毒至痛、不可具言。唯其笞掠之余、拷案之隙、因昔日之愛執、時時来息此院。
 
{{wikipedia|源融}}