「辞世の句」の版間の差分

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*さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも - 弟橘媛
*:相模津燒原焰中 問妾安否相公矣 --『古事記』 - 弟橘姫
 
*臣(やつこ)、罪を知らず。乞ふ、審察を垂れたまへ - [[蘇我入鹿]]
 
*磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む
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*われ死ぬるものならば、まずこの女宮達をなん、忌のうちに皆とり持て行くべき -花山天皇
 
*処分は腕力に依るべし -鳥羽僧正覚猷
*:遺産処分についての遺言を弟子たちから要求されたが、死後弟子たちが遺言状を開いてみるとこの言葉が記してあっただけだった。
 
*常よりも睦まじきかな郭公(ほととぎす) 死出の山路の友と思へば -鳥羽天皇
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*父を斬る子、子に斬らるる父、斬るも斬らるるも宿執の拙き事、恥ずべし恥ずべし、恨むべし恨むべし -[[源為義]]
*:[[w:保元の乱]]で実子義朝の手にて処刑
 
*我に小太刀の一本でもあれば討たれはせん -[[源義朝]]
*:乳母子鎌田正清の舅長田忠致に入浴中を襲われ、殺された。
 
*埋れ木の花さく事もなかりしに身のなるはてぞ悲しかりける -[[源頼政]]
 
*やがて討手を遣わし、頼朝の首をば刎ねて、我が墓の前に懸くべし、それぞ孝養にてあらんずる -[[平清盛]]
 
*所々で討たれんよりも、一所でこそ討死をもせめ -[[木曾義仲]]
*:乳母子今井兼平に語りかけた言葉。
 
*行きくれて木の下のかげを宿とせば花や今宵の主ならまし -[[平忠度]]
 
*浪の下にも都のさぶらうぞ -二位尼平時子
 
*さらばおのれら、死途の山の供せよ -[[平教経]]
*:平家随一の猛将として壇ノ浦で義経を追い続け、末期は敵源氏の侍二人を両脇に抱え込んで入水。その際の言葉。
 
*見るべき程の事は見つ、いまは自害せん -[[平知盛]]
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*一代聖教みな尽きて 南無阿弥陀仏に成り果てぬ -[[一遍]]
*:時宗の開祖。「捨て聖」と呼ばれ、入寂に際しすべての著作を焼き捨てたという。
 
*わが亡骸は野に捨て、獣に施すべし -一遍
 
*みづから一念発心せんよりほかには 三世諸仏の慈悲も済ふこと能はざるものなり -一遍
*:時宗の開祖。「捨て聖」と呼ばれ、入寂に際しすべての著作を焼き捨てたという。
 
*わが命をちぢめて、三代の中に天下を取らしめ給へ -足利家時