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第四の権力
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第64,65代内閣総理大臣。
 
* 本会議場において活発なる討議の展開ができますことは、明朗なる政治、すなわちガラス箱の中での民主政治の発達助長に資すること大なりと思うものであります。
** 昭和22年衆議院議員初当選後の衆院本会議で自由討論に関する演説
* 私は小学校高等科の卒業である。しかし、いささか仕事のコツはしっている。われと思わん者は、影響なく大臣室へ来てくれ。上司の許可は要らない。何でも言ってくれ。できることはやる。できないことはやらない。すべての責任は、この田中角栄がとる。
** 大蔵大臣就任時の初登庁挨拶
* 戸別訪問は3万軒、辻説法は5万回、2万人と握手をして廻れ、靴が何足も履き潰されるほどに雨の日も風の日もやれ。聴衆の数で手抜きはするな。流した汗と、ふりしぼった知恵だけの結果しか出ない。選挙に僥倖などあるものか。そして、選挙民には口でいって見せるだけでは絶対駄目だということだ。必ず、自分で率先してやってみせろ。政治は結果である。そのためにこそ、選挙区をくまなく歩くことだ。選挙民が何を一番望んでいるのか、何に一番困っているのかを、他の誰よりも早くつかまなきゃいかん。とにかく歩け、歩いて話を聞け。しかし、それで終わったら並みの代議士に過ぎない。それをやった上で、現実のものにしてはじめて政治家というものだ。オレはそれを、最初から一人でやってきた。
*第四の権力
** 立候補者に対して選挙について語ったもの。小沢一郎や羽田孜などがこのような言葉を耳にし実践した。
* 赤坂、柳橋、新橋でも、料亭の女将で店を大きくするのはどんな奴かわかるか。仲居上がり、女中頭あがりだ。芸者や板場を立てて、見事に大きくする。ダメなのは芸者上がりだ。
** 下積みの重要性について語ったもの。田中は料亭では、玄関で靴の番をする老人などに細かい気配りを欠かさなかった。ちなみに「芸者上がり」の件は[[福田赳夫]]や[[中曽根康弘]]らを揶揄している。
* 俺は10年後に天下を取る。お互いに一生は1回だ。死ねば土くれになる。地獄も極楽もヘチマも無い。俺は越後の貧乏な馬喰の倅だ。君が昔、赤旗を振っていたことは知っている。公安調査庁の記録は全部読んだ。それは構わない。俺は君を使いこなせる。どうだ、天下を取ろうじゃないか。一生一度の大博打だが、負けてもともとだ。首までは取られない。どうだい、一緒にやらないか。
** 蔵相時代、[[早坂茂三]]に対する言葉。意気に感じた早坂は東京タイムズを退職し、田中の秘書となる。
* 第四の権力
** [[w:マスコミ|マスコミ]]の[[w:偏向報道|偏向報道]]を評して。
* 八分の一理論
* 駕籠に乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人
 
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