「親鸞」の版間の差分
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『教行信証』は、経典や文献からの引用が大半を占めるが、親鸞自身の記述も随所に見られる。原文は漢文。
*爾れ者(しかれば)、已に僧に非ず俗に非ず
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『歎異抄』は親鸞の弟子によるものであるが、ところどころに親鸞の発言が引用されている。
*弥陀の誓願不思議にたすけまゐらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり——一段
*善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや — 三段▼
*念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり——二段
*:<small>註: これは法然の語であるが親鸞の語として人口に膾炙しているため引用をした。</small>
*親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念佛ま
▲*専修念佛のともがらの「わが弟子・ひとの弟子」といふ相論のさふらふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候 — 六段
*踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたくさうらはんには、煩悩のなきやらんと、あやしくさうらひなまし——九段
▲*念佛は行者のために非行非善なり — 八段
*わがこころのよくてころさぬにはあらず、また害せじとおもふとも百人千人をころすこともあるべし
*彌陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、されば若干(そくばく)の業をもちたる身にてありけるを、たすけんと思召したちたる本願のかたじけなさよ
*煩惱(ぼんのう)具足の凡夫(ぼんぶ)・家宅無常の世界は、萬のこと皆もつて空事・たわごと・眞實(まこと)あること無きに、たゞ念佛のみぞまことにて在(いま)します
=== 帰されるもの ===
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