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[[w:藤原兼輔|'''藤原兼輔''']](ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年) - 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。曾孫に[[紫式部]]がいる。官位は従三位[[w:中納言|中納言]]兼右衛門督に至り、また賀茂川堤に邸宅があったことから、'''堤中納言'''(つつみちゅうなごん)とよばれた。和歌・管弦に優れ、中古三十六歌仙の一人。三条右大臣こと[[藤原定方]]は従兄。
== 出典の確かなもの ==
**『新古今和歌集』。みかの原は甕原などと書く。京都府相楽郡。聖武天皇の時代に一時都が置かれた。いづみ川(泉川)は現在の[[w:木津川 (京都府)|木津川]]。
*よそにのみきかましものを音羽川わたるとなしに身なれそめけむ
**『古今和歌集』。
===他の歌人との贈答歌===
*先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きてつかはしける [[藤原定方|三条右大臣]]
*:はかなくて世にふるよりは山科の宮の草木とならましものを
*返し
*:山科の宮の草木と君ならば我はしづくにぬるばかりなり
**[[後撰和歌集]]
**先帝とは[[w:醍醐天皇|醍醐天皇]]のこと。930年に崩御し、山科御陵に葬られた。
▲*みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか [[恋]]しかるらむ --『[[小倉百人一首]]』
[[Category:歌人|ふ 藤原兼輔]]
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