「ハインリヒ・ヒムラー」の版間の差分

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*「総統はユダヤ人問題の最終的解決を命令なさった。我々親衛隊はこの命令を完遂しなければならない。東部に今ある絶滅施設は、予定される大作戦を遂行できる状態にはない。よって私は[[w:アウシュヴィッツ|アウシュヴィッツ]]をこの作戦遂行施設に指定した。困難な仕事だが直ちに実行しなければ、我々がユダヤ人を絶滅させる代わりに、いずれユダヤ人が我々を絶滅させるだろう。」(1941年夏。アウシュヴィッツ所長[[w:ルドルフ・フェルディナント・ヘス|ルドルフ・フェルディナント・ヘス]]に対して言った言葉。ヘスの証言)<ref name="ヒトラーの共犯者上195">『ヒトラーの共犯者 上』195ページ</ref><ref name="ニュルンベルク・インタビュー下195">『ニュルンベルク・インタビュー 下』218ページ</ref>
*「我々を殺そうとしたこの民族を、我々には殺す道徳的権利があり、また我々の民族に対してそうする義務を負った。しかし毛皮一着、時計一つ、一マルク、煙草一本、その他何一つ着服する権利はない。」(一部の親衛隊員が没収したユダヤ人財産を横領していることについての言葉)<ref name="ヒトラーの共犯者上194">『ヒトラーの共犯者 上』194ページ</ref>
*「ああ、私はユダヤ人虐殺などしたくなかったのだ。私の考えはまったく違っていた。それなのに[[w:ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]の奴がいっさいがっさいをしでかしたのだ」(1942年9月、フェリックス・ケルステンに語った言葉)<ref name="ヒトラーの共犯者上199">『ヒトラーの共犯者 上』199ページ</ref>
*「ここだけの話として極めてオープンに話す。ユダヤ人移送、ユダヤ民族絶滅のことである。口にするだけなら簡単なことだ。『ユダヤ民族は絶滅される』。党員なら誰でもそういう。あたりまえだ。党綱領にそう書いてある。すると8000万人の立派なドイツ人がやって来てその一人一人がお気に入りのユダヤ人を連れてくる。他のユダヤ人は豚だが、この人は素晴らしい人だという。こんなことをいう連中に努力をした者はいないし、実行した者もいない。100人、500人、1000人と死骸が積み上げられれば、それがどういうことなのか、諸君のほとんどが知ることになろう。これを耐え抜いたこと、そしてその際も、若干の人間的弱さは例外だが、品格を保っていられたこと。それによって我々は強くなるのである。これはこれまで書かれてこなかった、そしてこれからも書かれることはないであろう、我らが歴史の栄光の1ページである。」(1943年10月4日、ポーゼンで親衛隊中将達にむけて)<ref name="ヒトラーの共犯者上193">『ヒトラーの共犯者 上』193ページ</ref><ref name="ヒトラーの秘密警察148">『ヒトラーの秘密警察 <small>ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語</small>』148ページ</ref>
*「反ユダヤ主義はシラミの駆除と同じことだ。シラミを駆除することは何ら世界観の問題ではない。それは清潔さの問題である。まもなくシラミはいなくなる」(1943年、[[w:ハリコフ|ハリコフ]]での演説)<ref name="ヒトラーの共犯者上154">『ヒトラーの共犯者 上』154ページ</ref>