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[[File:Bundesarchiv Bild 146-1968-101-20A, Joseph Goebbels.jpg|thumb|ヨーゼフ・ゲッベルス]]
'''[[w:ヨーゼフ・ゲッベルス|パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス]]'''('''Paul Joseph Goebbels''', 1897年10月29日 - 1945年5月1日)は[[ドイツ]]の[[政治家]]。[[w:国家社会主義ドイツ労働者党|国家社会主義ドイツ労働者党]]第3代[[w:国家社会主義ドイツ労働者党#組織|宣伝全国指導者]]、初代[[W:国民啓蒙・宣伝省|国民啓蒙・宣伝大臣]]。「'''[[プロパガンダ]]の天才'''」「'''小さなドクトル'''」と称され、[[アドルフ・ヒトラー]]の政権掌握とナチス党政権下のドイツの体制維持に辣腕を発揮した。敗戦の直前、ヒトラーの遺書によって[[w:ドイツの首相|ドイツ国首相]]に任命されるが、直後に自殺した。
 
== 語録 ==
=== ゲッベルス自身の発言 ===
'''憂国・政府批判'''
*「[[w:グスタフ・シュトレーゼマン|シュトレーゼマン]](当時の外相)が[[w:ロカルノ会議|ロカルノ会議]]に出かける。西欧列強にドイツを売り飛ばすつもりだ。たらふく食ってるデブの豚め![[w:カール・ゼーフェリンク|ゼーフェリンク]](内相)は、[[w:プロイセン州|プロイセン]]でヒトラーが演説するのを禁止している。『ヒトラーは外国人』などと言って、ヒトラーを国外追放にすると脅している。[[w:ドイツ社会民主党|社民党]]の卑怯者、悪党!しかも連中は共和国の良心の自由を大声で叫ぶ!お上品な観念的たわごと!間もなく僕らは牢獄に入れられるだろう。だが気にすることはない。『ジタバタするな!だが旗を手放すな!』」(1925年10月2日付の日記)<ref name="西城信訳ゲッベルスの日記番町書房37">西城信訳『ゲッベルスの日記』(番町書房)37ページ</ref>
*「[[w:ロカルノ条約|ロカルノ条約]]が発表された。ひどいものだ。ドイツの政治家がどうしてこんな屈辱的な条約を受け入れられるんだ!?シュトレーゼマンは全くの悪党だ。条約は受け入れられなければならない。資本家が望むからだ。現在のドイツで発言権があるのは資本家だけだ。かつて[[w:ヴァルター・ラーテナウ|ラーテナウ]]は世界そのものが私的な一大資本合同だと言った。今それが姿を現したのだ。」(1925年10月21日付の日記)<ref name="西城信訳ゲッベルスの日記番町書房40">西城信訳『ゲッベルスの日記』(番町書房)40ページ</ref>
*「僕らの闘争は絶望的だと思いたくなる時がある。考えてもみろ。ドイツの『民族的』分子というのがあんな出来そこない共なんだ。僕らは[[w:資本主義|資本主義]]に雇われて[[w:ソビエト連邦|ロシア]]と戦うことになる。なるべくサボれ。僕らは売られたんだ。結局、資本主義の奴隷となって生きるよりも[[w:ボルシェヴィズム|ボルシェヴィズム]]の側に立って敗れた方がいい。」(1925年10月23日付日記)<ref name="西城信訳ゲッベルスの日記番町書房42">西城信訳『ゲッベルスの日記』(番町書房)42ページ</ref>。
*「なんという民族だ!自らをズタズタに切り裂いて、民族の最後の痕跡まで消してしまうのか。これが別民族であれば、大衆は拳を振り上げ、抗議のために立ち上がるだろうに。哀れなドイツ!恥知らず!ならず者!ユダヤ人が我々を評価する通りだ!」(1928年の日記)<ref name="ヒトラーの共犯者上46">『ヒトラーの共犯者 上』46ページ</ref>
*「[[w:アルトナ|アルトナ]][[w:血の日曜日|血の日曜日]](ハンブルクの港町アルトナで起こったナチ党と共産党の抗争。17名が死亡)に対する政府の回答はデモの禁止だ。これはつまり例をあげれば、女性が集団で町を歩くとならず者が刺激されて暴行する恐れがあるので、以降女性は町を歩いてはならないということだ。この政府は善人も悪人も、誠実も不実も、国家を肯定する者も否定する者も同一のばかげた無分別な厳しさで取り扱う。絶望的な状況だ!僕らがいなければドイツは滅びたと言われるところだ。」(1932年7月18日付日記)<ref name="西城信訳ゲッベルスの日記番町書房183">西城信訳『ゲッベルスの日記』(番町書房)183ページ</ref>。
 
'''革命について'''
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*「きみも知っての通り、僕はこの行き過ぎた反ユダヤ主義者たちが嫌いではないかもしれない。確かにユダヤ人は、僕の特別な友人だとは言えないけれども、罵倒や非難、さらに迫害によってユダヤ人を始末してはいけないと思う。たとえそのやり方が許されるとしても、それは高潔ではないし、人間性にもとる。」(学生時代の1919年にヨーゼフが友人にあてて書いた手紙。)<ref name="ヒトラーの共犯者上29">『ヒトラーの共犯者 上』29ページ</ref>。
*「寛大な処置でユダヤ人を感銘させようとしても無駄だ。」(1933年4月)<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯107">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』107ページ</ref>
*「ユダヤ人の[[w:ペスト|ペスト]]は抹殺しなければならない。徹底的にだ。何一つ残してはならない。」<ref name="ヒトラーの共犯者上27">『ヒトラーの共犯者 上』27ページ</ref>
*「ユダヤ人は退廃の悪霊の化身である。腐敗と墜落の兆しが表れると、ユダヤ人は隠れ家から出てきて、諸民族に対して犯罪的な屠殺業を開始する。ユダヤ人はその犠牲者に親しげに近づいてきて、無邪気な相手が気付かないうちに、もうその相手の首の骨をへし折ってしまう。ユダヤ人は非創造的である。彼らは生産をせず、生産物を売買するだけだ。ぼろ、服、絵、宝石、穀物、株、民族、国家などを売買するだけだ。そして彼らが売買する物は全てどこからか盗んできたものである。ユダヤ人は確かに人間だ。だがどういう人間なのか。誰かが君の母親に暴力を振るったら、君はそれでも『ありがとう。彼もまた人間だ』と言えるだろうか。ユダヤ人が我らの母なるドイツにどれほどの暴力を振るってきたことであろうか。そして今なお振るっていることであろうか。我々がドイツ民族の立場に立つ限り、ユダヤ人は敵である。ユダヤ人は全てのドイツ民族にとって大いなる災厄である。」(1936年7月30日付『[[w:デア・アングリフ|デア・アングリフ]]』に寄せた論文)<ref name="ヒトラーとナチス 第三帝国の思想と行動55">『現代教養文庫419 ヒトラーとナチス <small>第三帝国の思想と行動</small>』(社会思想社)55ページ</ref>
*「ホテルへ行こう。そこからなら、空が血の色に染まるのが見える。[[w:シナゴーグ|シナゴーグ]]が燃えている。(中略)私がホテルに入った時、ガラス窓が音を立てて砕け散った。ブラボー、ブラボー。大きな古いほったて小屋のようにシナゴーグが燃える。ドイツの財産は無事だ。」([[w:水晶の夜|水晶の夜]]事件の際の日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上63">『ヒトラーの共犯者 上』63ページ</ref>
*「[[w:ゲットー|ゲットー]](ユダヤ人隔離地域)を走った。車を降りて全てを詳しく観察する。表現のしようがない。こいつらはもはや人間ではない。動物だ。したがって、人道上の問題ではなく、外科医の問題なのだ。ここは切断しなければならない。しかも極めて過激にだ。」(ゲットー視察について。日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上65">『ヒトラーの共犯者 上』65ページ</ref>
*「ユダヤ人は全体的に見て、60%を抹殺しなければならない。残り40%を労働に使用すればよいといえるだろう。全ウィーン大管区指導者([[w:オディロ・グロボクニク|オディロ・グロボクニク]])は、この作戦を実行するにあたっては、かなり慎重に、あまり人目を引かないような措置を取った。ユダヤ人に裁きが下ったのだ。それは確かに残忍な物ではあるが、奴らには当然の報いだ。」(ユダヤ人の絶滅収容所への移送について。日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上71">『ヒトラーの共犯者 上』71ページ</ref>
*「ユダヤ人を絶滅させることが我々の目標である。この戦争に勝とうが負けようが、この目標だけは達成されねばならない。ドイツ軍が後退を余儀なくされようとその途中に、この世界に残っているユダヤ人を殲滅する。」(1944年以前)<ref name="ヒトラーの共犯者上46">『ヒトラーの共犯者 上』46ページ</ref>
'''プロパガンダについて'''
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=== 人物評 ===
*「彼は、それなくしてはベルリンの状態を処置することができない二つの特性を持っている。すなわち一つは知性であり、他の一つは雄弁である。」(1926年のゲッベルスのベルリン大管区指導者任命についての[[アドルフ・ヒトラー]]の言葉)<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯59">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』59ページ</ref>
*「[[w:ヘルマン・ゲーリング|ゲーリング]]や[[ハインリヒ・ヒムラー|ヒムラー]]や[[w:マルティン・ボルマン|ボルマン]]と違って、彼は毎日の出来事にある程度距離を置くことができた。彼は自己中心的でもなく、臆病者でもなかった。彼はヒトラーに自分の考えを述べた。戦争を終えるべきだと考えた時もそうだった。私から見ればゲッベルスはプロパガンダの天才だった。ヒトラーが彼を作ったように、彼がヒトラーを作った。まさしくそう言えると思う。彼は非常に複雑な性格だった。そして完全に冷淡だった。国家社会主義の最もおぞましい部分、つまりドイツのユダヤ人に対する政策は、彼が推進力になった。」(1979年、[[w:アルベルト・シュペーア|アルベルト・シュペーア]])<ref name="ヒトラーの共犯者上31">『ヒトラーの共犯者 上』31ページ</ref>
*「ゲッベルスとゲーリングは、もちろん陰謀もめぐらしてはいたが、粗暴ではなかった。この二人は非常に知的だった。ただゲーリングは墜落していた。けれどもそれはもしかしたら病気のせい、モルヒネ中毒のせいかもしれなかった。もう知るすべもないが。ゲッベルスは腐っていなかった。ただ恐ろしいほどに危険な男だった。」(1979年、アルベルト・シュペーア)<ref name="ヒトラーの共犯者上90">『ヒトラーの共犯者 上』90ページ</ref>
*「彼は反ユダヤ主義の最も強硬な代表者だった。彼はマスメディアを利用して反ユダヤ主義的な報道をすることが、権力者になる大きなチャンスと思っていた。彼がユダヤ人に対して根深い憎悪を抱いていたかどうかは疑問だ。彼はいい加減な日和見主義者なので、何に対しても、好意的ないし敵対的な根深い感情など持たないと思う。(略)[[w:ユリウス・シュトライヒャー|シュトライヒャー]](ヨーゼフゲッベルスと並んで反ユダヤ主義プロパガンダで知られる人物)はゲッベルスと比べれば従順だった。シュトライヒャーは半分頭がおかしいだけだが、一方ゲッベルスは不道徳で狡猾で危険だった。ゲッベルスとはいかなる議論もできない。ゲッベルスには誠意のかけらもないので議論しても無駄なのだ。」(空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング。ニュルンベルク裁判で拘禁中にアメリカの精神分析医レオン・ゴールデンソーンに語った言葉)<ref name="ニュルンベルク・インタビュー上105">『ニュルンベルク・インタビュー 上』105ページ</ref>
*「私は、一次大戦で[[w:鉄十字章|鉄十字章]]をもらったユダヤ人は[[w:ニュルンベルク法|ニュルンベルク法]]から除外すべきだと提案したが、却下された。ゲッベルスは、ユダヤ人は自分達とは違うと思っていた。あるいは少なくとも、そう主張していた。彼は大嘘つきなので内心ではどう思っていたのか、私にはわからない。あの頃、私とヒトラーののつながりは政治の面では強かったが、個人的な面ではヒトラーとゲッベルスのつながりのほうが強かった。私とゲッベルスを比べると、ヒトラーとの関係で違っていたのは、私は会議でヒトラーとよく話したが、ヒトラーは夜通しゲッベルス一家とともに過ごしたという点だ。ヒトラーとゲッベルスの結びつきは強く、おそらく私が思っている以上に、あの脚の曲がった狂信者から政治の面でも影響を受けていたのだろう。」(ヘルマン・ゲーリング。同上)<ref name="ニュルンベルク・インタビュー上110">『ニュルンベルク・インタビュー 上』110ページ</ref>
*「非常に頭が切れるが、信用は置けない。」([[w:カール・カウフマン (政治家)|カール・カウフマン]])<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯39">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』39ページ</ref>
*「ヒトラーとゲッベルスの関係には、たとえばヒトラーと[[w:アルベルト・シュペーア|シュペーア]]の関係がそうであったほど、個人的な感情が認められませんでした。ヒトラーはゲッベルスに感心し、彼を評価していました。けれどもそこに親しげなニュアンスはなかったのです。ゲッベルスが女優を口説くために、しばしば自分の地位を利用していることをヒトラーは知っていました。これはヒトラーの気性にまったくそぐわないことでした。」(ヒトラーの女性秘書[[w:トラウデル・ユンゲ|トラウデル・ユンゲ]])<ref name="ヒトラーの共犯者上55">『ヒトラーの共犯者 上』55ページ</ref>
*「不思議なことだが、ゲッベルスは私が二回目に『[[w:デア・シュテュルマー|デア・シュテュルマー]]』(シュトライヒャーの反ユダヤ主義新聞。下品な論調で知られた)紙を禁止しようとしたとき、手を貸してくれた。私が何げなく言った言葉に同意してくれたからではないだろうか。「『デア・シュテルマー』のせいで我々の対外的面目は丸つぶれになりますよ。敵は『デア・シュテルマー』をコピーさえすればいいのだから。」私のこの言葉にゲッベルスは間髪いれずに賛同し、『デア・シュテルマー』の禁止を私と共同で提案してくれた。私はゲッベルスをかばっているわけではないし、弁護してるわけでもない。彼は思いやりも良心もない狂信者だった。ただ私はこの興味深い事実を指摘しておきたいだけだ。」(宣伝省ラジオ局長[[w:ハンス・フリッチェ|ハンス・フリッチェ]]。ニュルンベルク裁判で拘禁中にアメリカの精神分析医レオン・ゴールデンソーンに語った言葉)<ref name="ニュルンベルク・インタビュー下101">レオン・ゴールデンソーン著『ニュルンベルク・インタビュー 下』101ページ</ref>
*「彼は、人々を興奮の恍惚状態に陥らせる術を心得ていた。彼は嘘の名人で、冷笑家だった。そしてナチ党の全幹部の中できっと一番知的で、一番雄弁であっただろう。」(従軍記者ベルト・ネーゲレ)<ref name="ヒトラーの共犯者上46">『ヒトラーの共犯者 上』46ページ</ref>