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'''[[w:東海道中膝栗毛|東海道中膝栗毛]]'''。十返舎一九の滑稽本。1802-1804にかけて出版。
 
==作中より==
===初編===
*富貴自在冥加あれとや、営(いとなみ)たてし門の松風、琴に通ふ、春の日の麗さ、げにや大道は髪のごとしと、毛すじ程も、ゆるがぬ御代のためしには、鳥が鳴吾妻錦絵に、鎧武者の美名を残し、弓も木太刀も額にして、千早振(ちはやぶる)神の広前に、おさまれる豊津国のいさほしは、尭舜のいにしへ、延喜のむかしも、目撃(まのあたり)見る心地になん。
*:発語
 
===三編 下===
*此はなしのうち、程なく天龍にいたる。此川は信州すわの湖水より出、東の瀬を大天龍、西を小天龍といふ、舟わたしの大河なり。弥次郎此所に待うけて、倶にこの渉しをうちこゆるとて<br /><br />水上(みなかみ)は雲より出て鱗(うろこ)ほどなみのさかまく天龍の川<br /><br />舟よりあがりて建場(たてば)の町にいたる。
 
*さつさつとあゆむにつれて旅衣ふきつけられしはままつの風
 
===四編 下===
*旅人のいそげば汗に鳴海がたここもしぼりの名物なれば<br /><br />かくよみ興じて田ばた橋をうちわたり、かさでら観音堂にいたる。
 
===五編 序===
*名物をあがりなされとたび人にくちをあかするはまぐりの茶屋
*:挿画中の句
 
===五編 上===
*ふろふきの熱田の神の慈眼(みそなは)す、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、めいぶつの焼蛤に酒くみかはして、
 
*旅人を茶屋の暖簾に招かせてのぼりくだりをまち屋川かな
 
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