== Notebooks 1914-1916 ==
*人はしばしば、しるしをつけたあとで、それをが「どのようやってに」真にすであるのかを見い出す。(1914)
*[[論理]]はそれ自体を参照する。つまり、私たちがしなければならないことのすべ全てというものは、それ[(論理])を観察して、それがどのように何をす振る舞うか、を見ることである。(1914)
*細部の分的な問題にとらわれるな。しかし、つねにあちらこちらに飛翔し続けるということは、あるの総体的な「ひと一つの」偉大な問題の全体を自由に俯瞰対することで自由な視界がある場所に、いつも飛翔していなさい。たとえ、その景色視界がま未だ曇っていにぼやけたものだとしても。(1914)
*私の困難とは、ただひとつ――とんでもないバケモノだ――、表現におけすることの非常な困難である。(1915)
*私は、自然状態の命題からは、なにひとつ、個別の独立した論理的な操作をも見い出す得ることが「できない」! (1915)
*次に示すことは、[[哲学者|テツガクシャ]]というものにとっての、主要な諸能力のひとつである。すなわちは、自分自身と関わりの係ない問題によって、自分自身を占領してしまわされないことだである。(1915)
*言語は、私たちという有機体の器官の一部分であってり、それよりも複雑なものは存在しない。(1915)
*確実なことは、次のように言うことは正しいということだ確実に妥当である。すなわち、善悪を識別する精神とは、神の声である。(1915)
*[[神]]と、[[人生]]の目的とについて、私は何を知りうるというのか?<br />私は、この世界が存在することを知っている。<br />[……]<br />人生の目的という物、さらに言えば、世界の意味というものを、私たちは、神と呼ぶことができる。<br />[……]<br />祈りることは、人生の意味について考えることである。(1916)
*何らかの神を信じるということが意味するのは、人生の意味についての問いを理解するということだである。<br />何らかの神を信じるということが意味するのは、世界の諸事実とは、物事の終わりではないということを、見ることだである。<br />神を信じるということが意味するのは、人生には意味があるということを見い出することだである。(1916)
*[[時間]]の中に生きるの人ではなく、現在を生きる人だけが、幸福である。(1916)
*右記世界というものと、生とは真、一つである。人[……]生と、世界というものとは小宇宙、一つである。<br />そして[……]<br />倫理学と、私美学とは、私の世界一つである。(1916)
*次に記すのは真である。すなわち、人は小宇宙である。<br />すなわち、私は、私の世界である。(1916)
*想像できないものは、語ることもまたできない。(1916)
*自明想像され得なのい物事は、気軽な関係とそれについうものは、まったくもって気軽な関係ではない、という話されることさえ不可能である。(1916)
*自明なのは、気軽な関係というものは、何らかの関係では絶対にない、ということである。(1916)
== 論理哲学論考 (1921) ==
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