「清少納言」の版間の差分

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+清少納言についての引用、『紫式部日記』より
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[[w:清少納言|清少納言]]は平安時代中期の歌人、[[清原元輔]]の娘。[[清原深養父]]は曽祖父。中宮定子に女房として仕え、『枕草子』を著した。
== [[w:清少納言|清少納言]] ==
 
== [[w:清少納言|清少納言]]からの引用 ==
 
歌人・[[清原元輔]]の娘。[[清原深養父]]は曽祖父。
=== [[w:枕草子|枕草子]] ===
==== 春はあけぼの====
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*:村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、「これに歌よめ。いかが言ふべき。」と、兵衞の藏人に賜せたりければ、「雪月花の時。」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき。」とぞ、仰せられける。
 
 
*能因本系の冒頭
*:村上の御時,雪のいと高う降りたるを
 
===清少納言についての引用===
*清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。--[[紫式部]]『紫式部日記』(1010年)
 
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