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==紫式部からの引用==
=== 和歌 ===▼
**小倉百人一首では「夜半の月かな」とする。
===『紫式部日記』===
*清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
*『源氏の物語』、御前にあるを、殿の御覧じて、例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる。
*:「すきものと名にしたてれば見る人の
*::折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」
*:たまはせたれば、
*:「人にまだ折られぬものをたれかこの<br/>
*::すきものぞとは口ならしけむ
*:めざましう。」
*:と聞こゆ。
**『源氏物語』への最古の言及。殿は藤原道長を指す。
▲参照:『[[源氏物語]]』
▲== 和歌 ==
▲*めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに[[雲]]がくれにし夜半の[[月]]かげ --『新古今和歌集』、小倉百人一首では「夜半の月かな」
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