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[[File:MatsuoBashoChusonji.jpg|200px|right|thumb|松尾芭蕉]]
[[w:松尾芭蕉|'''松尾芭蕉''']](まつお ばしょう。(寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は江戸時代の俳人。自筆署名では「はせを」と表記する。江戸時代の俳人別号に'''桃青'''、'''風羅坊'''。俳聖と称される。
==[[w:松尾芭蕉|松尾芭蕉]]==
まつお ばしょう。(寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))自筆署名では「はせを」と表記する。江戸時代の俳人。俳聖と称される。
 
===出典の明確なもの===
==== [[w:奥の細道|奥の細道]] ====
 
*月日は百代の過客にして行きかふひともまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
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*::[[蛤]]のふたみにわかれ行秋ぞ
 
=====発句=====
*あかあかと日はつれなくも秋の風
*荒海や[[佐渡]]によこたふ[[天の川|天河]]
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*わせの香や分入右は有磯海
 
==== 『笈日記』 ====
*秋深き隣は何をする人ぞ
*[[菊]]の香や[[奈良]]には古き[[仏]]たち
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::[[辞世の句]]。
 
==== 『野ざらし紀行』 ====
*草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたに出て、
:[[曙|明ぼの]]や[[白魚]]白きこと一寸
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*山路来て何やらゆかしすみれ草
 
==== 『笈の小文』 ====
*百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすもののかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。
*いらご崎似るものもなし[[鷹]]の声。
 
*ほろほろと[[山吹]]散るか[[滝]]の音
*[[西行]]の和における 宗祇の連における 雪舟のにおける [[千利休|利休]]が[[茶]]における 其貫道する物は一なり
*黄奇蘇新のたぐいにあらずば云事なかれ。
 
*風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
 
*そもそも道の日記といふものは、[[紀貫之|紀氏]]、[[鴨長明|長明]]、[[阿仏尼|阿仏の尼]]の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降昼より晴て、そこに松あり、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なかれ。
**長明への言及は当時鴨長明作と信じられた『[[w:海道記|海道記]]』を念頭におく。黄奇蘇新は、[[黄山谷]]の詩の奇抜さ、[[蘇東坡]]の詩の斬新さの意。
 
*かかるところの秋なりけりとかや、此浦の実は秋を宗とするなるべし。悲しさ淋しさいはんかたなく、秋なりせばいささか心のはしをも、云出べきものをとおもふぞ、我心匠の拙きをしらぬに似たり。淡路島手にとるやうに見えて、須磨明石の海右左にわかる。呉楚東南のながめも斯る処にや。物しれる人の見侍らば、さまざまのさかひにも思ひなぞらふるべし。又うしろの方に山を隔てて、田井の畑と云処、松風村雨のふるさとといへり。尾上つづき丹波路へかよふ道あり。鉢伏のぞき、逆落など、おそろしき名のみ残て、鐘掛松より見下に、一の谷内裏やしき目の下に見ゆ。其代のみだれ、其時のさわぎ、さながら心にうかび、俤につどひて、二位の尼君皇子をいだきたてまつり、女院の御裳に御足もたれ、船屋形にまろび入らせ給ふみありさま、内侍局女嬬曹子のたぐひ、さまざまの御調度もてあつかひ、琵琶琴なんどしとね蒲団にくるみて、船中になげ入、供御はこぼれてうろくづの餌となり、櫛笥はみだれて、海士の捨草となりつつ、千歳のかなしび、此浦にとどまり、素波の音にさへ愁おほく侍るぞや。
*:結語。須磨浦での記。「かかるところの秋」は[[源氏物語]]「須磨」巻よりの引用。松風村雨は中世伝承、能曲『[[w:松風 (能)|松風]]』の元となった。後半は『平家物語』を念頭におくか。
 
====発句・連句====
*旅人と我名よばれん初しぐれ
*:また山茶花を宿やどにして
*鷹一つ見付てうれしいらこ崎とり
*若葉して御めの雫ぬぐはゞや
*蛸壺やはかなき夢を夏の月
 
==== 『猿蓑』 ====
*憂き我をさびしがらせよ[[カッコウ|閑古鳥]]
*梅[[若菜]]丸子の宿のとろろ汁
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*病雁の夜寒に落ちて旅寝かな
 
==== 『続虚栗』 ====
*花の雲鐘は[[上野]]か[[浅草]]か
*旅人と我が名呼ばれん初時雨
*よく見れば薺花咲く垣根かな
 
==== 『曠野』 ====
*[[父]][[母]]のしきりに恋し[[雉子]]の声
*おもしろうてやがて悲しき[[鵜]]舟かな
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*古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ。
*:『許六離別詞』より
*[[西行]]の和哥における 宗祇の連哥における 雪舟の繪における [[千利休|利休]]が[[茶]]における 其貫道する物は一なり
*塩[[鯛]]の歯ぐきも寒し魚の店
*:『薦獅子』より
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*:『柴門辞』より
*[[みのむし]]の音をききにこよ草の庵
 
==帰せられるもの==
 
*いらご崎似るものもなし[[鷹]]の声
*ほろほろと[[山吹]]散るか[[滝]]の音
 
=== 芭蕉に過って帰せられるもの===