「清少納言」の版間の差分

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[[w:清少納言|清少納言]]は紀元前平安時代中期の歌人、[[清原元輔]]の娘。[[清原深養父]]は曽祖父。中宮定子に女房として仕え、『枕草子』を著した。
 
== 清少納言からの引用 ==
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==== 冬は ====
*三巻本-114段
*:冬はいみじう寒き 夏はよにしらず暑き
*:
*堺本後光厳院本-83段
*:冬は雪あられがちに凍りし 風はげしくていみじう寒き よし 夏は日いとう照り 扇などもかたときも打ちおかず 堪え難う暑きぞ よき なのめなるは わるし
 
==== 鳥は ====
[[鳥]]は、異所のものなれど、[[鸚鵡]]、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。[[時鳥|郭公]]。水鶏。しぎ。[[都鳥]]。ひは。ひたき。……
 
[[鶯]]は、詩などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、さまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重の内に鳴かぬぞ、いとわろき。人の、 「さなむある」といひしを、「さしもあらじ」と思ひしに、十年ばかりさぶらひてききしに、まことに、さらに音せざりき。さるは。竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬも、寝ぎたなきここちすれども、今はいかがせむ。……
 
郭公は、なほ更にいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞え、歌に、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるもねたげなる心ばへなり。五月雨の短か夜に寝ざめをして、いかで人よりさきに聞かむとまたれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうしう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。夜鳴くもの、なにもなにもめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき。
 
==== うつくしきもの ====
なにもなにも ちひさきものはみなうつくし。
 
:(現代語訳)
: 何でも、 小さいものはみなかわいい。
 
==== 近くて遠きもの ====
*三巻本系-161段
*:近うて遠きもの 宮の前の祭り 思わぬ同胞 親族のなか 鞍馬のつづらおりという道 十二月のつごもりの日 正月の一日の日のほど
*堺本系
*:近くて遠きもの 思わぬはらからの仲 女男もさぞある 船の道
 
==== 遠くて近きもの ====
*三巻本系第二類本:勧修寺家旧蔵本、中邨秋香旧蔵本、伊達家旧蔵本、古梓堂文庫蔵本
*:遠くて近きもの [[極楽|極樂]] 舟の道 人のなか-162段
:(現代語訳)
: 遠いようで近いものは、極楽、舟で行く路、[[男]][[女]]の仲。
 
*能因本系
*:遠くて近きもの 極樂 舟の道 男女の仲
*堺本系:後光厳院本-118段
*:遠くて近きもの 極樂 くらまのつづらおり 十二月のつごもりと、正月の一日と 宮のべのまつり
 
 
==== 寺は ====
*三巻本-197段
*:靈山は 釈迦佛の御住処なるが あわれなるなり
*堺本後光厳院本
*:りょうせんは 釈迦佛の御住処の名に似たるがあわれなるなり
*能因本-191段
*:高野は弘法大師の御すみかなるが あわれなり
 
==== 日は入日 ====
*三巻本
*:日は入日 入りはてぬる山の端に 光なおとまりて赤う見ゆるに 薄黄ばみたる雲の棚引きわたりたる いとあわれなり - 236段
*:月は有明けの東の山際に細くて出ずるほど いとあわれなり - 237段
*:雲は白き 紫 黒きもおかし 風吹くおりの雨雲 明け離るるほどの黒き雲の ようよう消えて 白うなり行くも いとおかし 明日にさる色とかや 詩文にも作りたなる 月のいと明かき面に薄き雲 あわれなり - 239段
 
*堺本後光厳院本-82段
*:日は入日 月はあり明け 雲はむらさき 風吹く日の雨雲 日入り果てたる山ぎわの まだ名残りとまれるに うす黄ばみたる雲の 細く棚引きたる いとあわれなり いま 明け離るるほど 黒き雲のようよう消えて 白くなり行くおかし あしたにさる色とかや 文にもつくりたる
 
==== 雪のいと高う降りたるを ====
雪のいと高う降りたるを 例ならず御格子まゐりて 炭櫃に火おこして 物語などして集りさぶらふに <font size=-1>(宮)</font>「少納言よ 香炉峰の雪いかならむ」とおほせらるれば 御格子上げさせて御簾を高く上げたれば 笑はせたまふ。
::[[白居易]]の詩にちなむ。
 
*三巻本系の冒頭
*:雪のいと高く降りたるを,例ならず御格子まゐらせて
 
*能因本系の冒頭
*:雪のいと高う降りたるを
 
==== 村上の前帝の御時に ====
村上の前帝の御時に 雪のいみじうふりたりけるを 様器にもらせ給ひて、梅の花をさして 月のいとあかきに <font size=-1>村上のみかど</font>「これに歌よめ。いかゞいふべき」と兵衞の藏人に給はせたりければ、「雪月花の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給けれ。<font size=-1>(宮)</font>「歌などよむはよの常なり。かくおりにあひたる事なんいひがたき」とぞおほせられける。
*現代語訳
*:先の帝、[[村上天皇]]の御治世に、雪がたいそう降ったのを、容器にお盛りになり、梅の花をさして、月がとても明るいところに、「これについて歌を詠め。どう言うのがふさわしいか」と兵衛の蔵人にお与えになった。「雪月花の時(最もあなた様をお慕い申し上げます)」と申し上げたのを、帝は大層にお気に召された。中宮様は、「歌など詠むのは当たり前のことね。このように折にあったことをいうことこそ難しいのよ」と仰せになった。
::これも白居易の詩にちなむ。「[[雪月花]]の時」は白楽天「寄殷協律」による。
 
*三巻本系
*:村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、「これに歌よめ。いかが言ふべき。」と、兵衞の藏人に賜せたりければ、「雪月花の時。」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき。」とぞ、仰せられける。
 
*能因本系の冒頭
*:村上の御時、雪のいと高う降りたるを
 
 
 
==清少納言についての引用==
*清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。--[[紫式部]]『紫式部日記』(1010年)
 
== 外部リンク ==
*[http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/chrono/makurano.html 枕草子]めでたきもの
 
[[category:歌人|せ 清少納言]]
[[category:作家|せ 清少納言]]
[[category:日本人|せ 清少納言]]
[[fr:Sei Shônagon]]
[[it:Sei Shōnagon]]