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::村上の前帝の御時に 雪のいみじうふりたりけるを 様器にもらせ給ひて、梅の花をさして 月のいとあかきに「これに歌よめ。いかゞいふべき」と兵衛の蔵人に給はせたりければ、「[[雪月花]]の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給けれ。「歌などよむはよの常なり。かくおりにあひたる事なんいひがたき」とぞおほせられける。-- [[清少納言]]『枕草子』
 
 
引用は、さまざまな時代、文化、思想へ私たちを導いてくれます。普段気がつかない物事の断層に目を開かせてくれます。
 
古今東西、さまざまな文化で引用は重視されてきました。なにか無理に新しいことをいうよりも、その折にあったふさわしい引用をすることのほうがよいとする冒頭の引用もそのひとつです。このようなことがいわれるのも、引用が、その語句だけでなく、背景にある文化、引用句の前後の文章との関係、さらには引用が行われたその場面との関係で、表面の言葉自体を超えた豊かな意味の広がりを拓くことが出来るからです。ですので、気に入った引用を見つけたら、可能ならその原典に当たってみることもご考慮ください。
 
また一方で、原文の文脈を離れて、引用句として取り出された句を吟味することで、それぞれの語句自体がもつ意味を深く味わうことが出来ます。さらに引用として切り取られた言葉は、もとの文脈を離れて、独自の生命を獲得することがあります。冒頭の引用でも、もとは雪・月・花のその折々を指した「雪月花の時」という語句、雪月花がともにあるという自然の異なった美を指すのに用いられ、元の文章を離れつつ、新しい世界を作り出しています。これを誤用といってしまうことはたやすいことですが、それだけではなく、語られた言葉が、言葉同士のつながりのなかで自律することによって、表現の世界は拓かれてきたのです。これは文学の中の言葉だけではなく、折々の事件に際して残された歴史の中の人物の発言にもあてはまります。
 
そうした言葉に触れることで、人間は生きる世界の深みを言葉によって味わい、世界をより深く理解することが出来るのです。ウィキクォートでは、それぞれの参加者がそうした生きた言葉と出会う場所を提供していきたいと思います。
 
::--チーム・ウィキクォート
 
[[Category:ウィキクォート|いんようとはなにか]]