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== 和俗童子訓 ==
* 富貴の家には、善き人を選びて、早く其子につくべし。悪しき人に、慣れ染むべからず。貧家の子も、早く善き友に交はらしめ、悪しき事にならはしむべからず、凡そ小児は早く教ゆると、左右の人を選ぶと、是、古人の子を育つる良法なり。必ず是を法とすべし。
* 凡そ小児を育つるに、初生より愛を過すべからず。愛すぐれば、かへりて、児をそこなふ。衣服をあつくし、乳食にあかしむれば、必ず病多し。衣をうすくし、食をすくなくすれば、病すくなし。富貴の家の子は、病多くして身よはく、貧賎の家の子は、病すくなくして身つよきを以って、其故を知るべし。小児の初生には、父母のふるき衣を改めぬひて、きせしむべし。きぬの新しくして温なるは、熱を生じて病となる。古語に、「凡そ小児を安からしむるには、三分の餌と寒とをお(帯)ぶべし」、といへり。三分とは、十の内三分を云。此こころは、すこしはう(飢)やし、少はひやすがよし、となり。最古人、小児をたもつの良法也。世俗これを知らず、小児に乳食を、多くあたへてあ(飽)かしめ、甘き物、くだ物を、多くく(食)はしむる故に、気ふさがりて、必脾胃をやぶり、病を生ず。小児の不慮に死する者は、多くはこれによれり。又、衣をあつくして、あたため過せば、熱を生じ、元気をもらすゆへ、筋骨ゆるまりて、身よはし。皆是病を生ずるの本也。からも、やまとも、昔より、童子の衣のわきをあくるは、童子は気さかんにして、熱おほきゆへ、熱をもらさんがため也。是を以、小児は、あたためすごすが悪しき事を知るべし。天気善き時は、おりおり外にいだして風・日にあたらしむべし。かくのごとくすれば、はだえ堅く、血気づよく成て、風寒に感ぜず。風・日にあたらざれば、はだへもろくして、風寒に感じやすく、わづらひおほし。小児のやしなひの法を、かしづき育つるものに、よく云きかせ、教えて心得しむべし。
* 凡そ子を教ゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれ慎みて、親の教えを聞てそむかず。ここを以、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、戒めを守らず、ここを以って、父母をあなどりて、孝の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子を育つる道をしらで、つねに子をおごらしめ、気随なるを戒めざる故、其をごり、年の長ずるに従ひて、いよいよます。凡夫は、心くらくして子に迷ひ、愛におぼれて其子の悪しき事を知らず。古歌に、「人の親の、心はやみにあらねども、子を思ふ道に迷ひぬるかな」、とよめり。もろこしの諺に、「人、其子の悪しきを知る事なし」、といへるが如し。姑息の愛すぐれば、たとひ悪しき事を見つけても、ゆるして戒めず。凡そ人の親となる者は、わが子にまさるたからなしとおもへど、其子の悪しき方にうつりてのちは、身をうしなふ事をも、かねてわきまへず、居ながら其子の悪におち入を見れども、わが教えなくして、悪しくなりたる事をばしらで、只、子の幸なきとのみ思へり。又、其母は、子の悪しき事を、父にしらさず、常に子の過をおほひかくすゆへ、父は其子の悪しきをしらで、戒めざれば、悪つゐに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とをたもたず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、「子の不肖なるゆへは、母其あやまちをおほひて、父しらざるによれり」、といへるもむべなり。
* 小児の時より早く父母兄長につかへ、賓客に対して礼をつとめ、読書・手習・芸能をつとめ学びて、悪しき方に移るべき暇なく、苦労さすべし。はかなき遊びに暇をついやさしめて、慣し悪しくすべからず。衣服、飲食、器物、居処、僕従にいたるまで、其家のくらゐよりまどしく、乏足にして、もてなしうすく、心ままならざるがよし。幼き時、艱難にならへば、年たけて難苦にたへやすく、忠孝のつとめをくるしまず、病すくたく、おごりなくして、放逸ならず。よく家をたもちて、一生の間さいはいとなり、後の楽多し。もしは不意の変にあひ、貧窮にいたり、或戦場に出ても身の苦みなし。かくの如く、子を育つるは、誠によく子を愛する也。又、幼少よりやしなひゆたかにして、もてなしあつく、心ままにして安楽なれば、おごりに慣ひ、私欲多くして、病多く、艱難にたえず。父母につかえ、君につかふるに、つとめをくるしみて、忠孝も行ひがたく、学問・芸能のつとめなりがたし。もし変にあへば、苦しみにたえず、陣中に久しく居ては、艱苦をこらへがたくして、病をうけ、戦場にのぞみては、心に武勇ありても、其身やはらかにして、せめたたかひの、はげしきはたらき、なりがたく、人におくれて、功名をもなしがたし。又、男子、只一人あれば、きはめて愛重すべし。愛重するの道は、教え戒めて、其子に苦労をさせて、後のためよく、無病にてわざはひなきように、はかるべし。姑息の愛をなして、其子をそこなふは、まことの愛をしらざる也。凡そ人は、わかき時、艱難苦労をして、忠孝をつとめ、学問をはげまし、芸能を学ぶべし。かくの如くすれば、必人にまさりて、名をあげ身をたてて後の楽多し。わかき時、安楽にて、なす事なく、艱苦をへざれば、後年にいたりて人に及ばず、又、後の楽なし。
* 凡そ人の悪徳は、矜なり。矜とは、ほこるとよむ、高慢の事也。矜なれば、自是として、其悪を知らず。、過を聞ても改めず。故に悪を改て、善に進む事、かたし。たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをも知らず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人の教えをもとめず。もし父として愛におぼれて、子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必ず其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親のほむる子は、多くは悪しくなり、学も芸もつたなきもの也。篤信、かつていへり。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。