「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

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[[CategoryFile:政治家|かBust of Gaius Iulius Caesar in Naples.jpg|thumb|right|ガイウス・ユリウス・カエサル]]
[[w:ガイウス・ユリウス・カエサル|ガイウス・ユリウス・カエサル]] (紀元前100年 – 紀元前44年)は古代ローマの軍人・政治家・独裁官。養子[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]は後にローマの初代皇帝となった。
 
[[w:'''ガイウス・ユリウス・カエサル|ガイウス・ユリウス・カエサル]] '''(紀元前100年 – 紀元前44年)は古代ローマの軍人・政治家・独裁官。養子[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]は後にローマの初代皇帝となった。
== 出典の確かな引用 ==
 
== 引用 ==
 
*来た、見た、勝った。
*:<span lang="la" xml:lang="la">Veni, vidi, vici.</span>
*::紀元前47年、ファルナケスをゼラの戦いで破った後の元老院への報告。[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「神君カエサル」および[[プルタルコス]]『カエサルの生涯』に記録される。
 
*全ガリアは三つの部分に分かれる。
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*:(<span lang="la" xml:lang="la">Libenter homines id, quod volunt, credunt.</span>)
*::[http://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%88%A6%E8%A8%98_%E7%AC%AC3%E5%B7%BB#18.E7.AF.80 『ガリア戦記』第3巻18節] というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
 
== カエサルに帰せられるもの ==
*来た、見た、勝った。
*:<span lang="la" xml:lang="la">Veni, vidi, vici.</span>
*::紀元前47年、ファルナケスをゼラの戦いで破った後の元老院への報告。
 
*賽は投げられた。
*:<span lang="la" xml:lang="la">Alea jacta est.</span>
*::[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「神君カエサル」33。ガリアと[[ローマ]]の国境である小さな小川のルビコン川を渡った際にギリシャ語でいったとされる言葉。元老院の許しなく軍隊を連れ、国境を越えてローマに入ることは、ローマへの侵略ならびに反乱とみなされる行為であった。なおこれはプルタルコス『ポンペイユス伝』60でメナンドロス劇の台詞のギリシャ語の引用"<span style="font-family:Athena,Gentium,'Palatino Linotype','Arial Unicode MS','Lucida Sans Unicode','Lucida Grande',Code2000,sans-serif" lang="grc" xml:lang="grc">ἀνερρίφθω κύβος</span>"(賽を投げてしまえ)であるとされるが、『オクシリンコス・パピルス』[[アリストパネス]]の断片673にこの語句があり当時の慣用句であったと推測される。
 
*ガリアは征服された。
*:{{lang|la|Galia est pacata.}}
*::*紀元前4752年、ファウェナケキンゲトリクをゼラの戦いで破っに勝利した後の元老院への報告書簡
 
== カエサルに帰せられるもの ==
 
*明日読もう。
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*:<span lang="la" xml:lang="la">Philippis iterum me videbis.</span>
*::文字通りには「フィリピで君は僕に会うだろう」。暗殺者である[[マルクス・ユニウス・ブルートゥス]]にいったとされる。フィリピはマケドニアの古代都市。
 
===出典未確認のもの===
 
*忍耐をもってよく苦痛に耐える男を見つけるより、喜んで死ぬ男をみつけるほうが容易である。
 
*私は助言を愛す、しかし助言者を憎む。
*どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった。
*私は神(王)ではない。カエサルである。
 
=== カエサルのものとされるが正確さまたは確からしさに欠けるもの ===
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*::[[ウィリアム・シェイクスピア]]の『ジュリアス・シーザー』では"<span lang="la" xml:lang="la">Et tu, Brute?</span>"(ブルートゥス、おまえもか)。カエサルの最後の言葉とされる。しかし実際にそれが何であったかは不明。スエトニウスによればギリシャ語で"<span style="font-family:Athena,Gentium,'Palatino Linotype','Arial Unicode MS','Lucida Sans Unicode','Lucida Grande',Code2000,sans-serif" lang="grc" xml:lang="grc">καὶ σὺ τέκνον;</span>"(おまえもか、こどもよ)(『ローマ皇帝伝』「神君ユリウス」82)といったという。
 
== カエサルについての引用 ==
[[Category:古代ローマ人|か ガイウス・ユリウス・カエサル]]
[[Category:軍人|* ガイウス・つて生きたなかで最も偉大な人間はユリウス・カエサルだ。--[[アレクサンダー・ハミルトン]]
**[[トマス・ジェファーソン]]「ベンジャミン・ラッシュ博士宛書簡」(1811年)中に引用。[http://etext.lib.virginia.edu/etcbin/ot2www-foley?specfile=/texts/english/jefferson/foley/public/JefCycl.o2w&act=surround&offset=332793&tag=89.+ADAMS+(John),+Views+on+English+Constitution.+--+&query=Hamilton&id=JCE0089]
[[Category:政治家|か ガイウス・ユリウス・カエサル]]
 
==外部リンク==
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[[Category:古代ローマ人]]
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