「マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス」の版間の差分

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[[File:Marco Porcio Caton Major.jpg|thumb|right|マルクス・ポルキウス・カト(大カト)]]
'''マルクス・ポルキウス・カト'''(通称・[[w:大カトー|大カトー]]、Marcus(Marcus Porcius Cato、[[w:紀元前234年|紀元前234年]]- [[w:紀元前149年|紀元前149年]])は古代ローマ共和制の政治家。第二次ポエニ戦争([[w:ハンニバル|ハンニバル]]戦争)で頭角を現し最終的にはケンソルに就任し辣腕を振るった。
 
後に頭角を現した一門の曾孫[[w:マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス([[w:小カトー|マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス]](小カト)と区別するために「、'''大カトー」'''(Cato maior)、'''カト・ケンソリウス'''(Cato Censorius)と呼ばれている。
 
== 帰されるもの引用 ==
*'''それにしても、[[w:カルタゴ|カルタゴ]]は滅ぼされるべきである。'''
"*:{{lang|la|Ceterum censeo Carthaginem delendam esse."}}
**カトはカルタゴの滅亡がローマの安全にとって必要不可欠と考えており、生涯にわたり元老院での演説をこの句で締めくくった。この句はしばしば「[[w:カルタゴ滅ぶべし|カルタゴ滅ぶべし]]」({{lang|la|Cartago delenda est}})の形で引用される。
 
*事実を把握せよ、[[言葉]]は続いてくる。
*それにしても、[[w:カルタゴ|カルタゴ]]は滅ぼされるべきである。
*:{{lang|la|Rem tene, verba sequentur.}}
:
**雄弁家に対するカトの助言(Julius Victor, ''Art of Rhetoric.'' p. 197 に引用)。
"Ceterum censeo Carthaginem delendam esse."
 
*愚者が賢者から学ぶより多くのことを賢者は愚者から学ぶ。
**[[プルタルコス]]『対比列伝』「カトの生涯」に引用される
 
{{misattributed begin}}
== 誤って帰せられるもの ==
*戦線において困難な時は、そのままの姿で現れる。
*:"{{lang|la|Fronte capillata, post est Occasio calva."--Disticha, II, 26.}}
**長年カトに帰せられてきた『カト二行詩集』は3世紀から4世紀の同名の著作家ディオニシウス・カトの著作であると推測されている。
{{misattributed end}}
 
 
==外部リンク==
※原文はラテン語
{{wikipedia|マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス}}
 
{{DEFAULTSORT:かと まるくす ぽるきうす}}
[[Category:政治家|かとー]]
[[Category:古代ローマ人|かとー政治家]]
[[Category:政治家|かと古代ロマ人]]
[[Category:紀元前没]]