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[[File:Uesugi Kenshin.jpg|thumb|right|上杉謙信]]
'''[[w:上杉謙信|上杉謙信]]'''('''うえすぎ けんしん''',1530年-1578年)。
'''上杉謙信'''('''うえすぎ けんしん'''、1530年-1578年)は日本国は越後の戦国武将。旧姓は長尾、後に上杉家の養子となり関東管領となった。
 
== 引用 ==
日本国は越後の戦国武将。旧姓は長尾、後に上杉家の養子となり関東管領となった。
* 運は[[天]]にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり<br>何時も[[敵]]を掌にして合戦すべし<br>疵つくことなし<br>[[死]]なんと戦えば生き [[生]]きんと戦えば必ず死するものなり<br>家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る 帰ると思えば ぜひ帰らぬものなり<br>不定とのみ思うに違わずといば [[武士]]たる道は不定と思うべからず 必ず一定と思うべし
 
== 出典の明らかなもの ==
* 運は[[天]]にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり<br>何時も[[敵]]を掌にして合戦すべし<br>疵つくことなし<br>[[死]]なんと戦えば生き [[生]]きんと戦えば必ず死するものなり<br>家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る 帰ると思えば ぜひ帰らぬものなり<br>不定とのみ思うに違わずといえば [[武士]]たる道は不定と思うべからず 必ず一定と思うべし
** 春日山城壁書より
* 依怙(えこ)によっては弓矢はとらぬ ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す
** 手紙より<!-- いつの誰への書簡?またどの文献で確認できる? -->
** 手紙より
 
*我れ公と争ふところは{{ruby|弓箭|ゆみや}}にあり{{ruby|米櫃|かて}}にはあらず。
**湯浅常山『[[w:常山紀談|常山紀談]]』(1739年、1700年)<ref name=常山紀談24>湯浅常山『常山紀談』、博文館、1909年、p.24。[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992078 国立国会図書館近代デジタルライブラリー、info:ndljp/pid/992078、 2015年10月20日 (火) {{subst:CURRENTTIME}}(UTC)アクセス</ref>
**[[武田信玄]]宛書簡。北条から塩攻めされた武田に謙信は通常の価格で塩を売った。警句「敵に塩を送る」はこれを元とする。
* [[極楽]]も地獄も先きは有明の月ぞ心に掛かる雲なし
**岡谷繁実 『名将言行録』では辞世の句とされる<ref name="名将言行録, p.270">『釈注名将言行録』上、菊池寛編、非凡閣、1942-1943年、p.270。[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042999 国立国会図書館近代デジタルライブラリー、info:ndljp/pid/1042999、 2015年10月20日 (火) 05:36‎(UTC)アクセス]</ref>。<!-- 岡谷繁実 の原著も近デジに -->
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== 注釈 ==
<references/>
 
== 外部リンク ==
{{wikipedia|上杉謙信}}
 
[[Category{{DEFAULTSORT:大名|うえす2き けんしん]]}}
[[Category:大名]]
[[Category:日本人]]
[[Category:16世紀生]]
[[Category:16世紀没]]