「正岡子規」の版間の差分
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[[w:正岡子規|'''正岡子規''']](1867年 - 1902年)は日本の歌人、俳人、随筆家。俳句、短歌、小説、随筆など、多方面に渡り創作活動を行った。結核で病没した。雅号「子規」は[[ホトトギス]]の意で、自身の喀血を擬えたものであった。
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*赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
*いくたびも[[雪]]の深さを尋ねけり
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*雪残る頂一つ国境
*来年やあふき咲いても逢はれまじ
*山茶花のここを書斎と定めたり<ref name="入門歳時記373">俳句文学館篇『入門歳時記』角川書店、1984年、p.373。</ref>
==== 絶筆三句 ====
死の半日ほど前、紙を貼りつけた画板を妹の律に用意させ、そこへしたためた辞世の句。これらの句にちなみ、子規の忌日を糸瓜忌と呼ぶ。
*糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
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*をとゝひのへちまの水も取らざりき
=== 短歌 ===
*いちはつの
*瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
*くれなゐの二尺伸びたる
*瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀に春暮れんとす
*冬ごもる病の床のガラス戸の曇りぬぐへば足袋干せる見ゆ
====野球====
* 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものもあらじ▼
* 打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする ▼
* 九つの人九つの場を占めてベースボールのはじまらんとす▼
* 国人ととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゆしも▼
* 今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな ▼
**明治31年の連作。ただし収録の順序は不明。▼
== 評論 ==
*[[紀貫之|貫之]]は下手な[[和歌|歌]]よみにて古今集はくだらぬ集に有之候(これありそうろう)。
*
*[[与謝野鉄幹|鉄幹]]是なら子規非なり、子規是ならば鉄幹非なり。
*
*余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。▼
*:『病牀六尺』▼
*実景を写しても最美なるはなほ得難けれど、第二流位の句は最も得やすし。
*
*理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上がらうとしてかへつて池の中に落ち込むやうなことが多い。写生は平坦である代りに、さる仕損ひはないのである。▼
*:『病牀六尺』▼
* 近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり。▼
▲== 野球 ==
**第一高等学校と横浜在住米国人の試合は、日本で始めての対外交流試合であった。▼
▲*余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。
▲* 久方の[[アメリカ]]人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
▲*理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上がらうとしてかへつて池の中に落ち込むやうなことが多い。写生は平坦である代りに、さる仕損ひはないのである。
▲* 若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものもあらじ
== 注釈 ==
▲* 打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
==外部リンク ==
▲* 九つの人九つの場を占めてベースボールのはじまらんとす
{{wikipedia}}
▲* 国人ととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゆしも
▲* 今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな
▲**明治31年の連作。ただし収録の順序は不明。
▲* 実際の戰争は危険多くして損失夥しい。[[野球|ベースボール]]ほど愉快にてみちたる[[戦争|戰争]]は他になかるべし。 -- 『筆まか勢』
▲* 近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり。
▲**第一高等学校と横浜在住米国人の試合は、日本で始めての対外交流試合であった。
{{DEFAULTSORT:まさおか しき}}
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[[category:1900年代没]]
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