「ヨーゼフ・ゲッベルス」の版間の差分

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* マルクス主義もまた、実践のうえでは同じ様相を呈している。
 汝の持てるものを貧者に分かち与えよ。これがキリスト。
 
 財産は窃盗である──それがわたしのものでないかぎり。これがマルクス。
 
 キリスト社会主義者、それは、そこいらの社会主義者たちが同情心なり国益なりにもとづいて行うことを、自由意思で喜んで行なうことを意味する。
 
 論理的必然性 対 政治的配慮。
 
 今日われわれが勝利のときまで、あるいは苦い最後のときまで戦いぬく闘争は、もっとも深い意味においては、キリストとマルクスとの闘争なのだ。
 
 キリスト──愛の原理。
 
 マルクス──憎しみの原理。
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* 人種は、あらゆる創造的な力の土壌である。人類、そんなものはひとつの仮定だ。現実なのはただ民族だけだ。人類とは、民族の多様性以外の何ものでもない。民族は有機的である。人類は、有機的になったにすぎない。
 有機的であるということ、それは、有機的な生命を産み出す能力をみずからのうちに蔵している、ということだ。
 
 森とは、樹木が多数あることにすぎない。
 
 ぼくは、民族を滅ぼして人類を維持することなど出来ない。同じように、森を大切にするために樹木を根絶やしにすることなど出来るものではない。
 
 樹木、それが全体としては森と呼ばれる。
 
 民族、それが全体としては人類と呼ばれる。
 
 樫の樹が力強く育てば育つほど、それはますます美しく森を飾るだろう。
 
 ある民族がどこまでも民族であればあるほど、それはますます生きいきと人類に奉仕する……。
 
 これ以外のものはすべて、頭で考え出されたものであって、自然に生え育ったものではない。だから、それは歴史に耐えることができない。<ref name="池田浩士訳ドイツ・ナチズム文学集成《1》ドイツの運命ミヒャエル―日記が語るあるドイツ的運命柏書房124">池田浩士訳『ドイツ・ナチズム文学集成《1》ドイツの運命』[[w:ミヒャエル (小説)|ミヒャエル]]―日記が語るあるドイツ的運命(柏書房)124ページ</ref>