「毛沢東」の版間の差分

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===記されたもの===
* 中国人民革命成功後は、外蒙共和国はその自己の意志に依って自動的に中国連盟の一部となるであらう。囘蔵人民も同様に自治共和国を組織して中国連邦に参加するであらう。
*: 外務省情報部『中国共産党一九三七年史』(1938年6月) P.388より。「B 毛沢東会見記 (エドガア・スノウ)」内。
 
* 我等は普選を主張する。普選のみが民意を徹底的に表現するからである。臨時国民大会は過渡的手段である。何となれば、緊急状況下に従容たる選挙は許されない。現在比較的民意を代表し得るのは孫中山先生在命当時の主張により、政党、軍隊、民衆団体より、夫々代表を選出することである。この方法は勿論普選と異っている。我等は必ず普選を達成せねばならぬがこの方法は普選に至る橋梁である。しかしこれは目下最も好き方法である。
*: 外務省情報部『中国共産党一九三七年史』(1938年6月) P.426より。「毛沢東と語る(アグネス・スメドレー)」内。