「ヨーゼフ・ゲッベルス」の版間の差分

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'''革命について'''
*「真の革命家であるかの基準は、体制に打撃を与えるだけでなく、正しい時期に打撃を与えるということである。用意がすべてである。牢獄に入る、禁止される、殴り倒される、こんな程度の事は誰でもできる。火山のような情熱を持って、怒りを爆発させ、大衆を行進させ、憎悪と絶望を組織化し、さらにそれを冷静に計算しながら、いわば合法的な手段をもって遂行することができるかどうかこそが、真の革命家かエセ革命家かの違いである。」(ヨーゼフの『闘争時代の論文集』より)<ref name="ヒトラーとナチス 第三帝国の思想と行動104">『現代教養文庫419 ヒトラーとナチス <small>第三帝国の思想と行動</small>』(社会思想社)104ページ</ref>
 
'''ヒトラーについて'''
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'''ユダヤ人について'''
*「きみも知っての通り、僕はこの行き過ぎた反ユダヤ主義者たちが嫌いではないかもしれない。確かにユダヤ人は、僕の特別な友人だとは言えないけれども、罵倒や非難、さらに迫害によってユダヤ人を始末してはいけないと思う。たとえそのやり方が許されるとしても、それは高潔ではないし、人間性に悖る。」(1919年、学生時代に友人に宛てて書いた手紙の一部)<ref name="ヒトラーの共犯者上29">『ヒトラーの共犯者 上』29ページ</ref>。
*「寛大な処置でユダヤ人を感銘させようとしても無駄だ。我々はやろうと思えばどんなことでもできるのだということをはっきりと奴らに思い知らせてやる必要がある」(1933年4月)<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯107">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』107ページ</ref>
*「ユダヤ人の[[w:ペスト|ペスト]]は抹殺しなければならない。徹底的にだ。何一つ残してはならない。」<ref name="ヒトラーの共犯者上27">『ヒトラーの共犯者 上』27ページ</ref>
*「ユダヤ人は退廃の悪霊の化身である。腐敗と墜落の兆しが表れると、ユダヤ人は隠れ家から出てきて、諸民族に対して犯罪的な屠殺業を開始する。ユダヤ人はその犠牲者に親しげに近づいてきて、無邪気な相手が気付かないうちに、もうその相手の首の骨をへし折ってしまう。ユダヤ人は非創造的である。彼らは生産をせず、生産物を売買するだけだ。ぼろ、服、絵、宝石、穀物、株、民族、国家などを売買するだけだ。そして彼らが売買する物は全てどこからか盗んできたものである。ユダヤ人は確かに人間だ。だがどういう人間なのか。誰かが君の母親に暴力を振るったら、君はそれでも『ありがとう。彼もまた人間だ』と言えるだろうか。ユダヤ人が我らの母なるドイツにどれほどの暴力を振るってきたことであろうか。そして今なお振るっていることであろうか。我々がドイツ民族の立場に立つ限り、ユダヤ人は敵である。ユダヤ人は全てのドイツ民族にとって大いなる災厄である。」(1936年7月30日付『[[w:デア・アングリフ|デア・アングリフ]]』に寄せた論文)<ref name="ヒトラーとナチス 第三帝国の思想と行動55">『現代教養文庫419 ヒトラーとナチス <small>第三帝国の思想と行動</small>』(社会思想社)55ページ</ref>
*「ホテルへ行こう。そこからなら、空が血の色に染まるのが見える。[[w:シナゴーグ|シナゴーグ]]が燃えている。(中略)私がホテルに入った時、ガラス窓が音を立てて砕け散った。ブラボー、ブラボー。大きな古いほったて小屋のようにシナゴーグが燃える。ドイツの財産は無事だ。」([[w:水晶の夜|水晶の夜]]事件の際の日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上63">『ヒトラーの共犯者 上』63ページ</ref>
*「ユダヤ人の[[w:ペスト|ペスト]]は抹殺しなければならない。徹底的にだ。何一つ残してはならない。」<ref name="ヒトラーの共犯者上27">『ヒトラーの共犯者 上』27ページ</ref>
*「[[w:ゲットー|ゲットー]](ユダヤ人隔離地域)を走った。車を降りて全てを詳しく観察する。表現のしようがない。こいつらはもはや人間ではない。動物だ。したがって、人道上の問題ではなく、外科医の問題なのだ。ここは切断しなければならない。しかも極めて過激にだ。」(ゲットー視察について。日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上65">『ヒトラーの共犯者 上』65ページ</ref>
*「ユダヤ人は全体的に見て、60%を抹殺しなければならない。残り40%を労働に使用すればよいといえるだろう。全ウィーン大管区指導者(=[[w:オディロ・グロボクニク|オディロ・グロボクニク]])は、この作戦を実行するにあたっては、かなり慎重に、あまり人目を引かないような措置を取った。ユダヤ人に裁きが下ったのだ。それは確かに残忍な物ではあるが、奴らには当然の報いだ。」(ユダヤ人の絶滅収容所への移送について。日記の記述)<ref name="ヒトラーの共犯者上71">『ヒトラーの共犯者 上』71ページ</ref>
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'''プロパガンダについて'''
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 102-17049, Joseph Goebbels spricht.jpg|thumb|right|ベルリンで演説する宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス。1934年8月]]
*「どのような種類の宣伝がより有効かといったことを決定する理論的根拠はない。望ましい結果を生む宣伝はみな良い宣伝で、それ以外の宣伝はみな悪い、たとえそれがどれほど面白そうな物であっても。なぜなら宣伝の目的は人を面白がらせることではなく、『好結果を生むこと』であるから。それゆえに一つの宣伝を目して、これを粗野だとか下品だとか野蛮だとか公正を欠くなどと批評することは見当違いもはなはだしい。なぜならば、宣伝とは自分と同じ心理を認める人を探し求めようとする行為だからである。」(1928年の知覚作用と演説についてのヨーゼフの講演)<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯71">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』71ページ</ref>
*「宣伝はヴァイオリンの演奏と同様、誰にでも教えることのできる技術である。しかしある地点までは凡人でも到達できるが、そこから先はただ天才によってのみ成就される。」(同上)<ref name="第三帝国と宣伝ゲッベルスの生涯71">『第三帝国と宣伝 ゲッベルスの生涯』71ページ</ref>
*「プロパガンダの秘訣とは、狙った人物を、本人がそれとはまったく気づかぬようにして、プロパガンダの理念にたっぷりと浸らせることである。いうまでもなくプロパガンダには目的がある。しかしこの目的は抜け目なく覆い隠されていなければならない。その目的を達成すべき相手が、それとまったく気づかないほどに。」(1933年、ラジオ放送協会重役たちに対して演説)<ref name="ヒトラーの共犯者上30">『ヒトラーの共犯者 上』30ページ</ref>