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道長との確執についてすこし加筆
歴史用語
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[[w:三条天皇|三条天皇]](さんじょうてんのう、976年‐1017年)または'''三条院'''(さんじょういん)は日本の第67代天皇(在位:寛弘8年6月13日(1011年7月16日)‐長和5年1月29日(1016年3月10日))。諱は居貞(おきさだ / いやさだ)。[[w:冷泉天皇|冷泉天皇]]の第二皇子。母は摂政太政大臣[[w:藤原兼家|藤原兼家]]の長女・贈皇太后超子。[[w:花山天皇|花山天皇]]の異母弟。986年花山天皇退[[w:譲|譲位]]、一条天皇即位に伴い、立太子。東宮の方が天皇より4歳年上であったため、「さかさの儲けの君」といわれた。1014年以降眼病を患い、失明。1016年年に36歳で即位し親政を志向したが、外孫敦成親王を擁して実権を握ろうとする[[w:藤原道長|藤原道長]]とは不仲であり、病気を理由に道長にたびたび譲位を勧められた。1016年退位、翌年に没した。
 
==引用==
*心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
**『後拾遺和歌集』『小倉百人一首』
**詞書「例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしける頃、月の明かりけるを御覧じて」。退位前の歌。
 
==外部リンク==