「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

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== 引用 ==
 
*[[w:来た、見た、勝った|来た、見た、勝った]]
*:<span lang="la" xml:lang="la">[[:la:w:Veni, vidi, vici|Veni, vidi, vici]].</span>
*::紀元前47年、ファルナケスをゼラの戦いで破った後の元老院への報告。[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「神君カエサル」および[[プルタルコス]]『カエサルの生涯』に記録される。
 
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*::[http://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%88%A6%E8%A8%98_%E7%AC%AC3%E5%B7%BB#18.E7.AF.80 『ガリア戦記』第3巻18節] というのも、たいてい人間は(自分が)欲することを喜んで信ずるからである。
 
*[[w:賽は投げられた|賽は投げられた]]
*:<span lang="la" xml:lang="la">[[:la:w:Iacta alea est|Alea jacta est]].</span>
*::[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「神君カエサル」33。ガリアと[[ローマ]]の国境である小さな小川のルビコン川を渡った際にギリシャ語でいったとされる言葉。元老院の許しなく軍隊を連れ、国境を越えてローマに入ることは、ローマへの侵略ならびに反乱とみなされる行為であった。なおこれはプルタルコス『ポンペイユス伝』60でメナンドロス劇の台詞のギリシャ語の引用"<span style="font-family:Athena,Gentium,'Palatino Linotype','Arial Unicode MS','Lucida Sans Unicode','Lucida Grande',Code2000,sans-serif" lang="grc" xml:lang="grc">ἀνερρίφθω κύβος</span>"(賽を投げてしまえ)であるとされるが、『オクシリンコス・パピルス』[[アリストパネス]]の断片673にこの語句があり当時の慣用句であったと推測される。