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=== 出典の明確なもの ===
*熟田津に[[船]]乗りせむと月待てば [[海|潮]]もかなひぬ今は漕ぎ出でな -[[額田王]]
:熱田津爾船乘世武登月待者 潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 --『萬葉集』巻の一
::熟田津は現在の道後温泉。当時は海港であった。
 
*[[夏]]はよる。月の比はさらなり、やみも猶ほたるとびちがひたる。[[雨]]などのふるさへをかし。 -- [[清少納言]]『枕草子』能因本系
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::;堺本系『枕草子』
::::夏はよる。月の比はさらなり、ねやもなほ螢おほく飛びひがひたる。又、ただひとつふたつなどほのかにうちひかりて行くもいとをかし。雨ののどやかにふりそへたるさへこそをかしけれ。
 
 
*[[花]]は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。-- [[吉田兼好]]徒然草百三十七段
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*[[雲]]の峰幾つ崩て月の[[山]] - [[松尾芭蕉]]
 
*一家に遊女も寢たり[[]]と月 - 松尾芭蕉
 
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。-[[吉田兼好]]
*:『徒然草』百三十七段
 
*うたのさまをもしり ことの心をえたらむ人は [[空|おほぞら]]の月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも -[[紀貫之]]
*:『古今和歌集』『仮名序』
 
*[[天]][[地]]の分かれし時ゆ [[神]]さびて高く貴き<br>駿河なる布士の高嶺を 天の原ふりさけ見れば<br>渡る[[日]]の影も隠らひ 照る月の[[光]]も見えず<br>[[雲|白雲]]もい行きはばかり 時じくぞ雪は降りける<br>語りつぎ言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は
*:天地之分時從神左備手高貴寸<br>駿河有布士能高嶺乎天原振放見者<br>度日之陰毛隠比照月乃光毛不見<br>白雲母伊去波伐加利時自久曽雪者落家留<br>語告言継將往不盡能高嶺者 -- [[山部赤人]]『萬葉集』巻三の三一七
 
*[[2月|きさらぎ]]のはつかの[[空]]の月ふかし。まだ生きて[[]]はたたかふらむか -[[釈迢空]]
 
*松島や雄島が磯による浪の月の[[光]]に[[千鳥]]鳴くなり-[[藤原俊成]]
*:『新古今和歌集』
 
* あら楽や思いははるる身は捨つる浮世の月にかかる[[雲]]なし - [[大石内蔵助]]
*:[[辞世の句]]
 
* 預言者たちは[[星]]であ]]である。しかし[[イエス・キリスト|キリスト]]は[[太陽]]である。キリストの予言に反対するものはすべて無である。キリストは[[天]]への梯子の最初の段でもあり、最後の段でもある。キリストを通して我々は前進を初めなければならず、キリストを通して[[生命]]へ到らなければならない。私は聖書の中にただ、十字架に付けられたキリストのみを理解する。-[[マルティン・ルター]]
*: "Die Propheten sind die Sterne und der Mond; aber Christus ist die Sonne. Gegen die Predigt Christi ist alles Nichts. Er ist beides, die erste und die letzte Stufe an der Leiter gen Himmel. Durch ihn müssen wir anfangen, fortfahren und hindurch zum Leben kommen. Ich verstehe in der Schrift nur Christus, den gekreuzigten."
*高砂や此(この)浦船に帆を揚げて。月諸共に出で汐(しお)の。波の淡路の島陰(かげ)や。遠く鳴尾の沖すぎて。早(はや)住の江に着きにけり。 -[[世阿弥]]
*:『高砂』
 
*ひとりぬる山鳥のをのしだりをに霜おきまよふ床の月影 -[[藤原定家]]
 
*[[清水]]へ[[祇園]]をよぎる[[桜]]月[[夜]]こよひ逢ふひとみなうつくしき-[[与謝野晶子]]
===[[w:百人一首|小倉百人一首]]===
*天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも --[[阿倍仲麻呂]]
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*心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな --三条院
*[[秋]]風にたなびく雲のたえ間よりもれいづる月の影のさやけさ --左京大夫顕輔
*[[時鳥|ほととぎす]]鳴きつるかたをながむればただありあけの月ぞ残れる --後徳大寺左大臣
*なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが[[涙]]かな --[[西行]]