一遍

鎌倉時代中期の僧侶

一遍 (延応元年(1239年) - 正応2年8月23日(1289年9月9日)) 編集

 
藤沢市・清浄光寺の一遍像

いっぺん。日本の鎌倉時代の僧侶。

帰着されるもの 編集

『一遍上人語録』「門人伝説」 編集

  • 『信といふはまかすとよむなり。他の意にまかする故に人(ひと)の言(ことば)と書(かけ)り。我等は即(すなはち)法にまかすべきなり。しかれば衣(え)食(じき)住(ぢゅう)の三(さん)をわれと求(もとむ)る事なかれ。天運にまかすべきなり。』
  • 『およそ名號(みょうごう)に帰(き)しぬれば、功徳として不足なし。是を無上功徳ととき、これを他力の行(ぎょう)といふなり。』
  • (ざい)といひ功徳(くどく)といふこと、凡夫浅智(ぼんぶせんち)のものまたく分別すべからず。……なまざかしき智慧を捨て、身命(しんみょう)をおしまず。偏(ひとえ)に称名するより外(ほか)には餘(よ)の沙汰有るべからず。』
  • 『名號(みょうごう)は青(しょう)黄(おう)赤(しゃく)白(びゃく)のにもあらず。長短方円のにもあらず、有(う)にもあらず無(む)にもあらず、五味(ごみ)をもはなれたる故に。口にとなふれどもいかなる法味(ほうみ)ともおぼへず。すべていかなるものとも思ひ量(はかる)べき法にあらず。これを無疑(むぎ)無慮(むりょ)といひ、十方の諸佛はこれを不可思議とは讃(さんじ)たまへり。唯声にまかせてとなふれば、無窮(むぐう)の生死(しょうじ)をはなるる言語道断の法なり。』
  • 『我體(わがたい)を捨(すて)南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)と独一(どくいつ)なるを一心不乱といふなり。されば念念(ねんねん)称名(しょうみょう)は念佛(ねんぶつ)が念佛(ねんぶつ)を申(まを)すなり。しかるをも我よく意得(こころえ)我よく念佛(ねんぶつ)申(まを)して往生(おうじょう)せんとおもふは、自力我執がうしなへざるなり』
  • 『ただ南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)がすなはち生死(しょうじ)を離れたるものを、これをとなへながら往生(おうじょう)せばやせばやとおもひ居(ゐ)たるは、飯(めし)をくひくひ、ひだるさやむる薬(くすり)やあるとおもへるがごとしと。これ常(つね)の御詞(おことば)なり』

『一遍上人語録』「消息法語」 編集

  • 最後の御遺誡(ごゆいかい)
    • 『五蘊(ごうん)の中(なか)に衆生(しゅじょう)をやまする病(やまひ)なし。四大(しだい)の中(なか)に衆生(しゅじょう)をなやます煩惱(ぼんのう)なし。但(ただ)本性(ほんしょう)の一念(いちねん)にそむきて、五欲(ごよく)を家(いへ)とし、三毒(さんどく)を食(じき)として、三悪道(さんあくどう)の苦患(くげん)をうくる事(こと)自業自得果(じごうじとくか)の道理(どうり)なり。しかあればみづから一念(いちねん)発心(ほっしん)せんよりほかには、三世(さんぜ)諸佛(しょぶつ)の慈悲(じひ)もすくふことあたはざるものなり。南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)。』