高村光太郎

日本の明治時代前期~昭和時代中期の詩人・彫刻家。彫刻家高村光雲の子

高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年 - 1956年)は日本の彫刻家、美術批評家、詩人。東京都出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。

高村光太郎

出典の明確なもの 編集

評論 編集

  • 人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである。僕にもそう見える事があるかも知れないからである。「緑色の太陽」があるばかりでその絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。
    • 「緑色の太陽」『スバル』初出、1910年。
    • のち『美について』(1967年)に収録。
  • いくら非日本的でも、日本人が作れば日本的でないわけには行かないのである。
    • 「緑色の太陽」

編集

  • 僕の前にはない
    僕の後ろに道は出来る

    ああ、自然よ
    父よ
    僕を一人立ちにさせた広大な父よ
    僕から目を離さないで守る事をせよ
    常に父の気魄を僕に充たせよ
    この遠い道程のため
    この遠い道程のため
    • 「道程」『道程』、1914年。
  • 頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付の様な顔をして
    魂をぬかれた様にぽかんとして
    自分を知らない、こせこせした
    命のやすい
    見栄坊な
    小さく固まつて、納まり返つた
    猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
    • 「根付の国」『道程』
    • 1910年に発表。
  • 智恵子は東京が無いといふ、
    ほんとの空が見たいといふ。
    • 「あどけない話」『智恵子抄』、1941年。

関連項目 編集

 
Wikipedia
ウィキペディアにも高村光太郎の記事があります。