藤原顕輔

日本の平安時代の公家

藤原顕輔(ふじわら の あきすけ、1090年 - 1155年)は、平安時代後期の日本の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。官位は正三位・左京大夫。六条と号す。小倉百人一首では左京大夫顕輔崇徳上皇から勅撰集撰進の命を受けて、1151年に『詞花和歌集』を完成させ、奏覧に供した。

藤原顕輔

引用 編集

  • 難波江の葦間にやどる月みればわが身ひとつもしづまざりけり
    • 『詞花和歌集』収録。
  • 葛城や高間の山のさくら花雲ゐのよそに見てや過ぎなむ
    • 『千載和歌集』収録。
  • 高砂の尾上の松に吹く風のおとにのみやは聞きわたるべき
    • 『千載和歌集』収録。
  • 秋風にたなびく雲の絶えまよりもれ出づる月の影のさやけさ
    • 『新古今和歌集』『小倉百人一首』収録。

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Wikipedia
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