貝原益軒

1630-1714, 江戸時代前期の本草学者、儒学者

貝原益軒(かいはら えきけん、1630年〜1714年)は日本の儒学者。福岡藩士。

貝原益軒

大疑録

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  • 雖唐虞三代之聖世。然人文未能一時開盡。必有待後世。是自然之理。
    • 唐虞三代ノ聖世ト雖(イヘド)モ、然シ人文ハ未ダ一時ガ開キ盡(ツク)スコト能ワズ、後世ヲ待ツコトヲ必有ス。是ハ自然ノ理ナリ。
  • 学者於其同異得失。虚其心。平其気。而精慮之。詳擇之。而信其可信。疑其可疑。則可也。古人曰。学者覚也。覚悟所不知也。故為学之道。在解疑開迷。是以学以能疑為明。以不能疑為不明。故朱子曰。大疑則可大進。小疑則可小進。不疑則不進。然疑有邪正。精思不得已而疑者正也。妄疑者鑿也。不可為正。
    • 学ブコトハ其ノ同異ニ於テ得失シ、其心ヲ虚(ウツロ)ニシ、其気を平ニスルモ、而して精(クワ)シク之ヲ慮(オモンバカ)リ、詳シク之ヲ擇(エラ)ビ、而シテ其ノ信ズベキコトヲ信ジ、其ノ疑フベキコトヲ疑フハ、則チ可ナリ。古人曰ク、学ブコトハ覚フルコトナリ。覚フルコトハ知ザル所ヲ悟ルコトナリ。故ニ学ノ道ヲ為スハ、疑フコトヲ解シ迷フコトヲ開クコトニ在リ。是ハ学ブコトヲ以テ能(アタ)フコトヲ以テ、疑フコトハ明ルコトヲ為ス。疑ハザルコトヲ以テ明ラズ。故ニ朱子曰ク、大ニ疑フコトハ則チ大ニ進ムベシ。小ニ疑フコトハ則チ小ニ進ムベシ。疑ザルコトハ則チ進マズ。然ドモ疑フコトハ邪正ヲ有ス。精(クワ)シク已(ヤ)ムヲ得ザルコトヲ思ヒテ疑フコトハ正ナリ。妄(ミダ)リニ疑フコトハ鑿(ウガ)ツコトナリテ、正ヲ為スコトアラズ。

和俗童子訓

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  • 富貴の家には、善き人を選びて、早く其子につくべし。悪しき人に、慣れ染むべからず。貧家の子も、早く善き友に交はらしめ、悪しき事にならはしむべからず、凡そ小児は早く教ゆると、左右の人を選ぶと、是、古人の子を育つる良法なり。必ず是を法とすべし。
  • 凡そ子を教ゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれ慎みて、親の教えを聞てそむかず。ここを以、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、戒めを守らず、ここを以って、父母をあなどりて、孝の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子を育つる道をしらで、つねに子をおごらしめ、気随なるを戒めざる故、其をごり、年の長ずるに従ひて、いよいよます。凡夫は、心くらくして子に迷ひ、愛におぼれて其子の悪しき事を知らず。古歌に、「人の親の、心はやみにあらねども、子を思ふ道に迷ひぬるかな」、とよめり。もろこしの諺に、「人、其子の悪しきを知る事なし」、といへるが如し。姑息の愛すぐれば、たとひ悪しき事を見つけても、ゆるして戒めず。凡そ人の親となる者は、わが子にまさるたからなしとおもへど、其子の悪しき方にうつりてのちは、身をうしなふ事をも、かねてわきまへず、居ながら其子の悪におち入を見れども、わが教えなくして、悪しくなりたる事をばしらで、只、子の幸なきとのみ思へり。又、其母は、子の悪しき事を、父にしらさず、常に子の過をおほひかくすゆへ、父は其子の悪しきをしらで、戒めざれば、悪つゐに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とをたもたず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、「子の不肖なるゆへは、母其あやまちをおほひて、父しらざるによれり」、といへるもむべなり。
  • 小児の時より早く父母兄長につかへ、賓客に対して礼をつとめ、読書・手習・芸能をつとめ学びて、悪しき方に移るべき暇なく、苦労さすべし。はかなき遊びに暇をついやさしめて、慣し悪しくすべからず。衣服、飲食、器物、居処、僕従にいたるまで、其家のくらゐよりまどしく、乏足にして、もてなしうすく、心ままならざるがよし。幼き時、艱難にならへば、年たけて難苦にたへやすく、忠孝のつとめをくるしまず、病すくたく、おごりなくして、放逸ならず。よく家をたもちて、一生の間さいはいとなり、後の楽多し。もしは不意の変にあひ、貧窮にいたり、或戦場に出ても身の苦みなし。かくの如く、子を育つるは、誠によく子を愛する也。又、幼少よりやしなひゆたかにして、もてなしあつく、心ままにして安楽なれば、おごりに慣ひ、私欲多くして、病多く、艱難にたえず。父母につかえ、君につかふるに、つとめをくるしみて、忠孝も行ひがたく、学問・芸能のつとめなりがたし。もし変にあへば、苦しみにたえず、陣中に久しく居ては、艱苦をこらへがたくして、病をうけ、戦場にのぞみては、心に武勇ありても、其身やはらかにして、せめたたかひの、はげしきはたらき、なりがたく、人におくれて、功名をもなしがたし。又、男子、只一人あれば、きはめて愛重すべし。愛重するの道は、教え戒めて、其子に苦労をさせて、後のためよく、無病にてわざはひなきように、はかるべし。姑息の愛をなして、其子をそこなふは、まことの愛をしらざる也。凡そ人は、わかき時、艱難苦労をして、忠孝をつとめ、学問をはげまし、芸能を学ぶべし。かくの如くすれば、必人にまさりて、名をあげ身をたてて後の楽多し。わかき時、安楽にて、なす事なく、艱苦をへざれば、後年にいたりて人に及ばず、又、後の楽なし。
  • 凡そ人の悪徳は、矜なり。矜とは、ほこるとよむ、高慢の事也。矜なれば、自是として、其悪を知らず。、過を聞ても改めず。故に悪を改て、善に進む事、かたし。たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをも知らず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人の教えをもとめず。もし父として愛におぼれて、子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必ず其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親のほむる子は、多くは悪しくなり、学も芸もつたなきもの也。篤信、かつていへり。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。
  • 人のほめ・そしりには、道理にちがへる事多し。ことごとく信ずべからず。おろかなる人は、きくにまかせて信ず。人のいう事、わが思ふ事、必理にたがふ事おほし。ことに少年の人は、智慧くらし。人のいへる事を、ことごとく信じ、わが見る事をことごとく正しとして、みだりに人をほめ・そしるべからず。
  • 父母やはらかにして、子を愛し過せば、子おこたりて、父母をあなどり、つつしまずして、行儀悪しく、きずい(気随)にして、身の行ひ悪しく、道にそむく。父たる者、戒ありておそるべく、行儀ありて手本になるべければ、子たる者、をそれ慎みて、行儀正しく、孝をつとむる故に、父子和睦す。子の賢不肖、多くは父母のしはざなり、父母いるがせにして、子の悪しきをゆるせば、悪を長ぜしめ、不義にをちいる。これ子を愛するに非ずして、かへりて、子をそこなふなり。子を育つるに、幼より、よく教え戒めても悪しきは、まことに天性の悪しきなり。世人多くは、愛にすぎてをごらしめ、悪を戒めざる故、慣ひて性となり、つゐに、不肖の子となる者多し。世に上智と下愚とはまれなり。上智は、教えずしてよし、下愚は、教えても改めがたしといへども、悪を制すれば、面は改まる。世に多きは中人なり。中人の性は、教ゆれば善人となり、教えざれば不善人となる。故に教えなくんばあるべからず。
  • 古語に、光陰箭の如く、時節流るるが如し。又曰、光陰惜むべし(と)。これを流水にたとふ、といへり。月日のはやき事、としどし(年々)にまさる。一たびゆきてかへらざる事、流水の如し。今年の今日の今時、再かへらず。なす事なくて、なをざりに時日をおくるは、身をいたづらになすなり。をしむべし。大禹は聖人なりしだに、なを寸陰をおしみ給へり。いはんや末世の凡人をや。聖人は尺壁(せきへき)をたうとばずして、寸陰をおしむ。ともいへり。少年の時は、記性つよくして、中年以後、数日におぼゆる事を、只一日・半日にもおぼえて、身をおはるまでわすれず。一生の宝となる。年老て後悔なからん事を思ひ、小児の時、時日をおしみて、いさみつとむべし。かやうにせば、後悔なかるべし。
  • 小児の時より、大字を多く書習へば、手、くつろぎはたらきてよし。小字を書で、大字をかかざれば、手、すくみてはたらかず。字を習に、紙をおしまず、大(おおい)に書べし。大に書ならへば、手はたらきて自由になり、又、年長じて後、大字を書によし。若、小字のみ書習へば、手腕すくみて、長じて後、大字をかく事成がたし。手習ふには、悪しき筆にてかくべし。後に筆をゑらばずしてよし。もし善き筆にて書習へば、後悪しき筆にて書く時、筆蹟悪しく、時々善き紙にかくべし。悪しき紙にのみ書ならへば、善き紙にかく時、手すくみて、はたらかず。
  • ○凡そ此十三条を、女子のいまだ嫁せざるまへに、よく教ゆぺし。又、書き付けてあたへ、おりおりよましめ、わするる事なく、是を守らしむべし。凡そ世人の、女子を嫁せしむるに、必ず其家の分限にすぎて、甚だをごり、花美をなし、多くの財をついやし用ひ、衣服・器物などを、いくらもかひととのへ、其余の饗応贈答のついえも、又、おびただし。是世のならはし也。されど女子を戒め教えて、其身を慎みおさめしむる事、衣服・器物をかざれるより、女子のため、甚だ利益ある事を知らず。幼き時より、嫁して後にいたるまで、何の教もなくて、只、其生まれつきにまかせぬれば、身を慎み、家をおさむる道を知らず。おつとの家にゆきて、をごりをこたり、舅、夫にしたがはずして、人にうとまれ、夫婦和順ならず。或(は)不義淫行もありて、おひ出さるる事、世に多し。是親の教えなきがゆへなり。古語に、「人よく百万銭を出して、女を嫁せしむる事をしりて、十万銭を出して、子を教ゆる事を知らず。」といへるがごとし。婚嫁の営(いとなみ)に、心をつくす十分が一の、心づかひを以て、女子を教え戒めば、女子の身を悪しく持なし、わざはひにいたらざるべきに、かくの如くなるは、子を愛する道をしらざるが故也。
 
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ウィキペディアにも貝原益軒の記事があります。