チエンマイ
タイ北部にある郡
チエンマイに関する引用
編集- ジャマヘイ[1]は石で出来た家屋のある、よく人の住まう、美しい偉大な町であり、道は広く、男たちは布をまとい、頭がむき出しで(これらの諸国[2]では靴を履かないので)裸足であり、断固としていて強い。女性はペグーよりもつとめて美しい。これらの諸国には小麦ない。米のお菓子を作るのである。ここジャマヘイにはシナから多くの商人がやってきて、ジャコウ、金、銀、その他多くのシナの産物の蓄えをもたらす。ここには多くの食料の蓄えがあり、それは、他のすべての地で行われているように水牛を搾乳することのないぐらい多い。―ラルフ・フィッチ
- "lamahey is a very faire and great towne, with faire houses of stone, well peopled, the streets are very large, the men very well set and strong, with a cloth about them, bare headed and bare footed: for in all these countreys they weare no shooes. The women be much fairer then those of Pegu. Heere in all these countreys they haue no wheat. They make some cakes of rice. Hither to Iamahey Many merchants out of China, and bring great store of muske, golde, siluer, and many other things of China worke. Here is great store of victuals: they haue such plenty that they will not milke the buffles, as they doe in all other places." --Ralph Fitch[3]
- チエンマイに関する最古の欧米文献(1587年)である。ビルマ占領寸前の動乱期のチエンマイであるが、それでもなお活発な交易により富んでいる姿が描かれている。