ヨシフ・スターリン

ソビエト連邦の第2代最高指導者

ヨシフ・スターリン (1878年 - 1953年)

Stalin (1942)

ロシアの革命指導者、旧ソ連の政治家、第2代ソ連共産党総書記(1924年 - 1953年)。 本名ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ(Иосиф Виссарионович Джугашвили)。スターリンは筆名。

語録

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  • 感謝の気持ちとは、に悩まされて気分を悪くするようなものだ。
  • 絹の手袋をはめてでは革命は出来ない。
  • 教皇だって。彼は何師団持っているんだい。(冗談めかして)
1945年、ヤルタ会談でポーランドの共産化についてチャーチルが触れた際の返事として。
  • が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。
  • 正直者の外交官など、乾いたでできたのようなものだ。
  • にぎやかさはソビエト連邦の最も顕著な特徴である。
  • 作家とは人間の魂の技術者である。
  • 歴史は無敗の軍隊が存在しないことを示している。
  • 投票する者は何も決定できない。投票を集計する者がすべてを決定する。
  • 以上は英語版ウィキクォートより重訳。
  • 「当然ながら悪魔は私の方についていますとも」(チャーチルと会談した時、過去のチャーチルの発言を冗談にした)
  • 「どうして、戦車を『ミュールとメリリズ』にするのか理解できない」[1]多砲塔戦車T-35重戦車)の設計スタッフに対する皮肉。「ミュールとメリリズ」は帝政ロシア時代のモスクワの百貨店名、現中央百貨店ツム。これをきっかけにソ連では多砲塔戦車の開発が中止された)
  • 「『血で結ばれた』独ソ両国民の友好は、必ずや幾久しく継続し、ますます強化されていくでしょう」(スターリン60回目の誕生日にヒトラーが送った祝電への返答)
  • 「私にはできない。(開戦)演説はモロトフにやらせてくれ」(ドイツの奇襲攻撃のニュースを聞いて)
  • 「ロシア人はかつてベルリンに二度足を踏み入れた。三度目もあるだろう」(モスクワ攻防戦の最中、英国外相に)
  • 「レーニンが築いたものをみんな失ってしまった、破局は避けられない」(モスクワ攻防戦の最中、身近な人達に)
  • 「あいつは銃をまっすぐに撃つこともできんのか」(長男ヤーコフがピストルによる自殺未遂で失敗した際の反応)
  • 「うちのヒムラーです」(ヤルタ会談の折、NKVD長官のベリヤをルーズベルトに紹介したときの言葉)>。
  • 「チャーチルはとんでもないうそつき野郎だ。ロンドンではサンドイッチ以外にあの太鼓腹に入れるものは何もないと信じさせようとしておる」(第二回モスクワ会談で、チャーチルがサンドイッチを持参したことに対して)
  • 「ちょっと私のアパートに立ち寄って一杯やるというのはどうです?」(第二回モスクワ会談でチャーチルに対して)
  • 「(抵抗した農民の数は)ざっと1000万人くらいでした。抵抗する農民どもには極北の土地をくれてやりました」(第二次世界大戦中に会談したチャーチルに対して1930年代の農業集団化に対して聞かれた時)[2]
  • 「モロトフにもちょっと役立つところがあります。パーティーを取り仕切る名人で、本人も相当いける口なんです」(チャーチルを自宅に招き、モロトフに乾杯の音頭を取らせた。その時、チャーチルにこう紹介した)
  • 「あれは非常に苦しかったが、必要だったのです」(自宅アパートで、チャーチルと農業集団化について話した時)
  • 「過去のことは水に流しましょう。私が許すのではありません。神が許すのです」(ソ連建国直後にイギリスが干渉した件でチャーチルが謝罪した時)
  • 「戦争は呪いである。我々は地上の全ての民衆と、平和のうちに暮らすことを望む」(1934年に、スヴェン・ヘディンウルムチのロシア・クラブの壁の赤い幕に、金の刺繍で縫い付けられていたのを目撃したもの)[3]
  • 「私が小指をちょいと動かせば、あんな奴、吹き飛ばされて木端微塵さ」(1948年頃にチトーを評した際の言葉)
  • 「私にも見当がつかん。連中は私の身内も全員刑務所に放り込んだではないか」(1949年、妻ポリーナが逮捕された理由をモロトフがスターリンに尋ねた時に。連中とはベリヤのこと)
  • 「あなたがひどい目に会おうと私は指一本もあげないから、に助けてもらいたまえ」(1950年、金日成に韓国侵攻を認めたときの言葉)[4]
  • 「日本は最後にはまた這い上がってくる」(第二次世界大戦終結直後)[5]
  • 「ドイツがわがロシアに殲滅戦を望むのなら、同じことをあいつらにくれてやろうじゃないか。」(1941年11月6日 モスクワの戦い時のモスクワの地下鉄マヤコフスキー駅における演説の一部)[6]
  • 「老人の機嫌をとるつもりらしいが・・・・こんなので元気になれるものでもない。」(1949年に勲章を受領した時の言葉)

スターリンの言葉とされてきたもの

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  • 「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない」という言い回しはスターリンによる言葉とされてきた。[7]

脚注

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  1. 『月刊グランドパワー』1997年10月号「第2次大戦のソ連軍用車輌(下)」(高田裕久、デルタ出版) 21頁
  2. 『チャーチル回顧録』
  3. 『シルクロード(下)』(スヴェン・ヘディン著、福田宏年訳、岩波文庫) 20頁
  4. 『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』デビッド・ハルバースタム著 山田耕介・山田侑平訳 文藝春秋 2009 ISBN 978-4-16-371810-1
  5. 中国から見た日本「日本は不景気から必ず復活する」(1)
  6. アンドリュー・チコルスキ著『モスクワ攻防戦』2010年 作品社
  7. Mass crimes against humanity and genocide”. Religioustolerance.org. 2008年10月19日閲覧。