尾崎紅葉
小説家 (1868-1903)
尾崎紅葉(おざき こうよう、1868年−1903年10月30日)は日本の作家、俳人。本名、徳太郎。俳号は十千萬堂(じっせんまんどう)。1885年に石橋思案や山田美妙らと硯友社を興し、同人誌『我楽多文庫』を発行した。幸田露伴と並称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなすとともに後進の指導に当たり、弟子に泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声などがいる。忌日は紅葉忌また十千萬堂忌と呼ぶ。
引用
編集吁 、宮 さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処 でこの月を見るのだか!再来年 の今月今夜……十年後 の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」--『金色夜叉』前編、第8章[1]。
俳句
編集青簾 好いた同士の世帯かな- 泣いて行くウェルテルに逢ふ朧哉
- 鍋焼の火をとろくして語るかな
- 夕暮や夏の柱の
倚 り心
- 死なば秋 露の干ぬ間ぞおもしろき
- 辞世の句。紅葉は晩年病床にあり口述筆記をとらせていた。
注釈
編集- ↑ 『金色夜叉』青空文庫、2015年10月21日 (水) 05:27 (UTC)アクセス