帚木
源氏物語の第2帖
源氏物語第二帖「帚木」(ははきぎ)からの引用。
雨夜の品定め
編集- 「中の品になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」 - 頭中将の言葉
- 「おほかたの世につけて見るには咎なきも、わがものとうち頼むべきを選らむに、多かる中にも、えなむ思ひ定むまじかりける。 ……かならずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、さて保たるる女のためも、心にくく推し量らるるなり」 - 左馬頭の言葉
- 「今はただ、品にもよらじ。容貌をばさらにもいはじ。いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼みどころには思ひおくべかりける」 - 左馬頭の言葉
- 中将、「なにがしは、痴者の物語をせむ」とて、「……むげに思ひしをれて心細かりければ、幼き者などもありしに思ひわづらひて、撫子の花を折りておこせたりし」とて涙ぐみたり。……
山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露
……つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか」 - 頭中将の言葉。
- この消えた女があとで出てくる夕顔の女主人公である。
- 「世の中や、ただかくこそ。とりどりに比べ苦しかるべき」 - 左馬頭の言葉
- さるままには、真名を走り書きて、さるまじきどちの女文に、なかば過ぎて書きすすめたる、あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり。心地にはさしも思はざらめど、おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。 - 左馬頭の言葉
方違え
編集- 君はのどやかに眺めたまひて、かの、中の品に取り出でて言ひし、この並ならむかしと思し出づ。
思ひ上がれる気色に聞きおきたまへる女なれば、ゆかしくて耳とどめたまへるに、この西面にぞ人のけはひする。
- 「中将の君はいづくにぞ。人げ遠き心地して、もの恐ろし」と言ふなれば、長押の下に、人々臥して答へすなり。……
みな静まりたるけはひなれば、掛金を試みに引きあけたまへれば、あなたよりは鎖さざりけり。……乱りがはしき中を、分け入りたまへれば、ただひとりいとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣押しやるまで、求めつる人と思へり。
光君「中将召しつればなむ。人知れぬ思ひの、しるしある心地して」とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物に襲はるる心地して、女「や」とおびゆれど、顔に衣のさはりて、音にも立てず。
光君「うちつけに、深からぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと、思ひなしたまへ」と、いとやはらかにのたまひて、鬼神も荒だつまじきけはひなれば、はしたなく、ここに人とも、えののしらず、心地はたわびしく、あるまじきことと思へば、あさましく、
女「人違へにこそはべるめれ」と言ふも息の下なり。消えまどへる気色、いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて、光君「違ふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめいたまふかな。好きがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子のもと出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。……あさましう、こはいかなることぞと思ひまどはるれど、聞こえむ方なし。並々の人ならばこそ、荒らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入りたまひぬ。
- まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、いふ方なしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからまし、と思す。
慰めがたく、憂しと思へれば、
光君「など、かく疎ましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ」
- 月は有明にて、光をさまれるものから、かげけざやかに見えて、なかなかをかしき曙なり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり。
- 御文は常にあり。されど、…… 身のおぼえをいとつきなかるべく思へば、めでたきこともわが身からこそと思ひて、うちとけたる御答へも聞こえず。……君は思しおこたる時の間もなく、心苦しくも恋しくも思し出づ。
- 君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに、不用なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、身もいと恥づかしくこそなりぬれ、といといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、憂しと思したり。
「帚木(ははきぎ)の心(こころ)を知(し)らで園原(そのはら)の道(みち)にあやなく惑(まど)ひぬるかな
聞こえむ方こそなけれ」とのたまへり。
女も、さすがに、まどろまざりければ、
「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木」と聞こえたり。