早見道中記
日本の江戸時代の書物
早見道中記(さうけんだうちうき)
編集- 刊記
- 原版宝永元甲申五月発兌
- 再版寛保二壬戌春正月
- 文化二乙丑春三月改正寿梓
- 東武書房
- 通油町 村田屋治郎兵衛
- 田所町 鶴屋金助
叙
編集- 此原版は、宝永元甲申の年、画師近藤助五郎清春なるもの編集して、自画図を加へ板行し、世に行るゝ事やひさし(助五郎清春は、中興浮世絵並戯作の祖述なり。其頃七福ざうしといへる自画自作の絵ざうしあり。是則草ざうしの初にして、今に栄邑堂の板本にのこれり。又道外百人一首といへるも、此清春が作にして、今に行るゝ所なり)。其後寛保ニ壬戌春再版し、それより絶て版行いたづらに塗籠の底にありしを、此たび改正し当時駄賃付の割増を加へ、名所古跡を細画となして、往来旅客の袖中にいれんことをねがふ
文化乙丑 季春 十返舎一九誌
東海道之記
編集- みつけよりはま松へ
- 此宿のうちに、天龍川へのちかみちあり●さかい松、ちや屋、まんぢうめい物あり●池田宿、ゆやが石、ゆやがさくら●天りう川、舟わたし、舟ちん十六文ヅヽ、大水には子安のもりより舟にのるなり、とりゐ松、ちや屋あり●まごめばし
- はま松よりまひ坂へ
- しのはら新田、道の左右は松也、左りにはす沼あり●つぼゐ村、左はあら海、右は入うみ也、はま松まひ坂の間は、だちんことの外やすし
- ふた川よりよし田へ
- 此所はむかし、大岩から沢とて二宿なりしが、今一ツになりて、ふた川といふ●岩穴の観音●火うち坂
- 吉田よりごゆへ
- 吉田のはし長サ百二十間、此所よりいせへのる舟あり●大雲寺、あま酒のめいぶつあり
- ちりふよりなるみへ
- あいつま川、はしあり●今岡村、めんるい名物也●尾しう三しうのさかい川、はし有、此はしびしうの方は半分板ばし也、三しうの方は土ばしなり●あなふ村、此へんより、のまのうつみみゆる、よしとものうたれし所也●あり松、此所しぼりのめいぶつ●右にちりふ大明神の社あり
- なるみよりみやへ
- 笠寺くはんをんあり●山ざきばし、なごやの城石にみゆる、是より三りほどあり
- みやよりくはなへ
- のり合一人四十五文、のり物一てうは六人まへ、駕四人前、荷一駄三人前、のり下二人まへ、はさみ箱一人前也、此わたしは木そ川のはてなり、水出ればのぼりがたく、しほさせば心やすし
- くはなより四日市へ
- さやまはりの道は、すへにくはしくあり●くはな、はまぐりの名物也●町や川、土ばし百六十間あり●とはた村、茶や有●ぢふく村、川有、かちわたり也●あくら川、はしあり