藤原清輔(ふじわら の きよすけ、1104年 - 1177年)は、平安時代末期の日本の公家・歌人。藤原北家魚名流、歌人藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。二条天皇に重用され『続詞花和歌集』を撰したが、奏覧前に天皇が崩御し勅撰和歌集にならなかった。六条藤家の当主として御子左家の藤原俊成に対抗した。