長州力

日本のプロレスラー (1951 - )

長州力(ちょうしゅう りき、男性、本名(通名):吉田 光雄(よしだ みつお)、韓国名:郭 光雄(クァク・クァンウン、곽광웅)1951年12月3日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身のプロレスラー。血液型O型。元在日韓国人2世の韓国系日本人(2016年に帰化)である。

語録

編集
  • 「キレちゃいないよ。」
1995年10月9日、UWFインターナショナルとの対抗戦における安生洋二戦後の囲み会見での発言。後のお笑い芸人長州小力の持ちギャグ「キレてないですよ。」の元ネタである。
  • 「俺達はロックで、あいつらはワルツ」
1984年、全日本プロレス参戦前に試合を視察した後、その印象を聞かれて
1985年の全日本参戦時の発言
  • 「俺達の時代だ!」
  • 「藤波、前田、お前らは噛み付かないのか。今しかないぞ俺たちがやるのは」[1]
  • 「何がルールだ、この糞馬鹿野郎!みんな首吊って死ね。あの野郎がくたばって墓建ったら、俺はクソぶっかけてやる」
1995年3月、UWFインターナショナル宮戸優光らに対して[2]
  • 「俺をキレさせたら大したもんだよ」
1995年9月、対UWFインターナショナルとの前哨戦後、安生洋二に対して
  • 「誰も言わないから俺が言ってやる。天下の長州力」
1997年の引退間際
  • 「それがお前のやり方か」
1999年1月4日、東京ドーム大会の乱闘で小川直也に対して
  • 「またぐなよ」
2000年、練習中に電流爆破を直訴しに来た大仁田厚に対して、当時会場に設置されていた場外フェンスをまたいでリングに入るなと繰り返す
  • 「お前の好きな会長連れて上がってこい」
2001年4月9日、解説席にいた藤波を挑発した小川直也に対して。会長とはアントニオ猪木の事
  • 「この業界のど真ん中走ってやるからな。みんなロックアップしてやる」
2002年9月、WJ旗揚げ前のサイパン合宿にて金澤克彦のインタビューに答えて
  • 「謝るとかそういうのは俺の中にはないんですよ。再戦の約束もできない」
2003年天龍源一郎とのシングル6連戦を「アゴが痛い」との理由で一方的にキャンセル。プロレスマスコミのインタビューに対して
  • 「何がやりたいんだ コラァ!紙面を飾って コラ!」
  • 「何コラ!タコ コラ!!」
2003年11月、ZERO-ONE道場における記者会見での橋本真也とのやりとり。いわゆる「コラコラ問答」「ナニコラタココラ」として知られる。橋本も「何がコラじゃコラ馬鹿野郎」「お前に分かった言われる筋合いないんじゃコラ」等と応戦し、僅か1分半の間に二人合わせて19回もコラと言った
  • 「俺はこの新日本プロレスの、ど真ん中に立ったんだぞ今」
  • 「永田、よくお前だけ上がってきたな!新日本の天下を取り損ねた男がよく上がってきた」
2004年10月、新日本のリング上に乱入。上記はリングの中央に立って右手を突き上げ、下記は迎撃に来た永田に対して
  • 「変化するってことは、進化していくってことだからな。それに俺がついて行けなければ、次の世代がやっていくんだ」
2007年2月、FIGHTING TV サムライでの前田日明との対談にて
  • 「アキラはギスギスしてたよね」「アキラのUWFってものにつながっていくギスギスさですよね」
同上の前田との対談にて、1980年代後半の新日本参戦当時の前田について
  • 「お前なに一人で運動会やってるんだコノヤロー!」
2008年7月、ロックアップで大仁田と初タッグを結成。場外乱闘に終始した大仁田に激怒して
  • 「努力をしても報われない奴はいる。間違いなくいる。ただ成功した奴は、必ず努力をしている。まあ、俺の場合はこんなちっこい体で…基本的に努力もしたし、自分なりに自分のスタイルを最後まで貫き通して、ここまでこれたのは…まあ自分で言って恥ずかしいとも思わないけど、日々の鍛錬だと思う」
  • 「食ってみな。飛ぶぞ」
2018年5月、ABCテレビ「相席食堂」出演時に、北海道のロケ中に食べたソフトホタテ貝柱がトリップしそうな程美味しいと感じたことから発した言葉。
  • 「形変えてしまうぞ」「形変えてやるぞ」
2018年頃から時折使っている煽り言葉。人間の体の形が変わってしまう位痛めつけてやるぞ、という意味が込められている。BSフジ「クイズ!脳ベルshow」、ABCテレビ「相席食堂」出演時などに発していた。

脚注

編集
  1. この言葉を皮切りにNOWリーダー(猪木、坂口、斎藤、星野勘太郎藤原喜明)対NEWリーダー(長州、藤波、前田、木村健吾スーパー・ストロング・マシン)という図式に展開する。しかし、この発言はTV中継されたが、出戻り直後で日本テレビとの契約が残っていたことにより、全日本プロレスよりの抗議を受け、抗争終了直前の10月まで、長州はTV中継からほぼ消えた。そのため、抗争のTVマッチの6人タッグ戦でNEWの側に、NOW世代である木戸修が入っていたこともある(1987年)。
  2. ただしこの直後に「でも山崎はいい奴だから」と、同団体に所属していた山崎一夫を気遣う発言もしている。