韓非子

中国の思想書

韓非(かん ぴ、紀元前280年? - 紀元前233年)は古代中国の思想家。法を国家経営の根幹に据え、人治に反対する法家思想の代表者と知られる。韓非子(かんぴし)とも呼ばれる。元来は単に韓子と呼ばれていたが、唐代の詩人韓愈を韓子と呼ぶようになると韓非子と呼ぶことが一般化した。著書『韓非子』。

引用 編集

韓非子 編集

  • すぐれた君主が臣下を統制するには、二つの事柄を掌握するだけでよい。すなわち刑罰と恩賞である。--二柄第七
    明主之所導制其臣者、二柄而已矣。二柄者、刑德也。
  • 職分を犯す害は、寒さよりも大きい。--二柄第七
    侵官の害は、寒きより甚し。
    侵官之害、甚於寒。
    • 韓の昭侯が酒に酔って寝入り、冠を司る役人がそれをみて衣を掛けた。昭侯は目覚めた後、衣を司る役人と冠を司る役人の両方を罰した。職分を越えることもまた法を犯すこととしたのである。ウィキブックスの注釈も参照のこと。
  • 君主が愛情を掛け過ぎると、臣下はそれに甘えて法が守られなくなる。--內儲說上七術第三十
    多き者は即ち法立たず。
    愛多者則法不立
  • 君主の悩みごとは人を信じることから生じる。人を信じればその人の思い通りにされる。--備內第十七
    人主の患は、人を信ずるにあり。人を信ずれば則ち人に制せらる。
    人主之患在於信人,信人則制於人。
  • 宋の人が田を耕していた。田の中に切り株があった。兎が走ってきてその切り株にぶつかり、頚を折って死んでしまった。それからは農具に手を触れず切り株ばかりを見続け、また兎が獲れないかと願っていた。兎は再びは得られず、国中の笑いものとなった。今日先王の政をもって現在の民を治めようとするのは、皆切り株を見つめる類のことである。--五蠹第四十九
    宋人有耕田者。田中有株。兎走觸株、折頸而死。因釋其すき而守株、冀復得兎。兎不可復得。而身爲宋國笑。今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
    • ここから成語「守株待兔」(しゅしゅたいと、を待って株を守る)が出た。北原白秋の「まちぼうけ」はこれにちなむ。

外部リンク 編集

 
Wikipedia
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