項籍
楚の武将
項籍(こう せき、紀元前232年 - 紀元前202年) は中国・秦末期の楚の武将。姓は項、名は籍、字が羽(う)である。一般には項羽で知られる。以下、本項でも項羽と呼ぶ。
引用
編集- 文字は自分の名前が書ければそれでよい。--『史記』「項羽本紀」
- 書は以て名姓を記すに足るのみ。
- 書足以記名姓而已。
- 成功して故郷に戻ってその姿を見せないのは、錦の服を着て、真っ暗な夜歩くようなものである。誰がその成功を知るというのだ。--『史記』「項羽本紀」
- 富貴不歸故鄕、如衣繡夜行、誰知之者。
- 私の力は山を引き抜き私の気勢は世を覆う
けれども時節は私に悪く愛馬の騅も進まない
騅がゆかずばいかにせん
虞や虞やおまえをいかにせん--『史記』「項羽本紀」- 力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
- 虞は項羽が寵愛していた女性。
- 力抜山兮気蓋世
- 天が私を滅ぼそうとするのに、私はなんで烏江を渡って逃げようか。--『史記』「項羽本紀」
- 天の我を亡ぼさんとするに、我なんぞ渡らんか。
- 天之亡我、我何渡爲。
項籍に関する引用
編集- ああ、小僧、ともに計略を語るに足らない、項王の天下を奪うのは、必ず沛公劉邦であろう、私の一族は彼の捕らわれ者になるだろう。--范増、『史記』「項羽本紀」
- 唉、豎子不足與謀。奪項王天下者、必沛公也、吾屬今為之虜矣。
- 項羽には一人、范増がいたが、用いることはできなかった。これが、項羽がわしのとりことなった理由である。--劉邦、『史記』「高祖本紀」
- 項羽有一范増而不能用。此其所以為我擒也。
- 自分の覇王の事業を既に成し遂げたと思いこみ、武力で天下を征服・管理しようとしていた。そして、5年間の内戦を経て、ついに国を滅ぼし、自分自身も死んでしまった。それでも、死ぬ前にもまだ悟らず、自分を責めようとしなかった。それは間違っている。「天が私を滅ぼすのだ。戦に負けたわけではない」と公言した。これはどんなに荒唐無稽なことだろうか。--司馬遷『史記』「高祖本紀」
- 謂霸王之業、欲以力征經營天下。五年、卒亡其國、身死東城。尚不覺寤、而不自責。過矣。乃引「天亡我、非用兵之罪也」、豈不謬哉。