アルトゥール・ショーペンハウアー

ドイツの哲学者 (1788-1860)

アルトゥール・ショーペンハウアー(1788年 - 1860年) ― ドイツの哲学者。

出典の明らかなもの

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  • 人生は短く、真理は長し。さあ真理を語ろう。
  • なんであれ、人は忘れることができる。ただ自分自身、己自身の性格を忘れることはできない。
    "Alles, alles kann einer vergessen, nur nicht sich selbst, sein eigenes Wesen." - Aphorismen zur Lebensweisheit
  • もし若かりし時に友人であった二人の人間が、人生の晩年に再会したならば、お互いの顔を認めたときにまず思うのは、人生に対する全くの失望であろう。なぜなら、人生が美しく見えたときの頃の記憶が蘇り、その頃はなんと人生が薔薇色の夜明けにおいて多くのものを約束してくれたか、そして結局は少しのものしか満たしてくれなかったことを感じずにはいられないからである。
  • 学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類を啓蒙し、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人である。
  • もともと自分の抱く基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で十分に理解するのも、自分の思想だけだからである。書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残し、他人の脱ぎ捨てた古着にすぎない。
  • 真の思索者は君主に類似している。彼は誰の力も借りず独立の地位を保ち、自らの上に立つ如何なる者も認めない。その判断は君主が決定するように自らの絶対的権力から下され、自分自身にその根拠を持つ。すなわち君主が他人の命令を承認しないように、思索者は権威を認めず、自分で真なることを確かめたこと以外は承認しないのである。

出典の不明確なもの

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  • われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する。
    "All unser Übel kommt daher, daß wir nicht allemn sein können."
  • 音楽とは、世界がその歌詞であるような旋律である。
    "Musik ist die Melodie, zu der die Welt der Text ist."
  • 実務的な生にとって、天才は、劇場での遠眼鏡よろしく、必要なものである。
    "Für das praktische Leben ist ein Genie genauso brauchbar wie ein Teleskop im Theater.
  • 未だかつて、自分が幸福だと感じた人間は一人もいなかった。もしそんなのがいたとしたら、きっと酔っぱらってでもいたのだろう。
  • 人生は粗いモザイクの絵に似ている。美しく見るためには遠く離れていなければならぬ。間近にいては、それは何の印象も与えない。
  • 運命がカードを混ぜ、我々が勝負する。
  • それゆえ人間がまったくまじめになりうる者であればあるほど、いっそう心から彼は笑うことができるのである。その笑いが絶えずとりすました、むりやりなかたちで出てくるような人間は、知的にも道徳的にも中身の軽薄な人間である。

『余録と補遺』

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  •  哲学するために最初に求められる二つの要件は、第一に、心にかかるいかなる問いをも率直に問い出す勇気をもつということである。そして第二は、自明の理と思われるすべてのことを、あらためてはっきりと意識し、そうすることによってそれを問題としてつかみ直すということである。最後にまた、本格的に哲学するためには、精神が本当の閑暇をもっていなくてはならない。精神が何かの目的を追求して、そのために意志に誘惑されるというようなことがなく、直感的世界と彼自身の意識とが彼にさずけてくれる教示を余念なく受け入れるのでなくてはならない。
 これに反して、哲学教授たちは、自分自身の個人的な利害得失やそれへの手づるなどに気をくばっている。そこに彼らの本意があるわけである。それゆえに、彼らにはおびただしい歴然たる事実がまるで眼に入らず、それだけでなく、せめて哲学の諸問題についてでも、本気になって省察するということがただの一度もないのである。[1]
  • 長遠な時代とあらゆる国民から、国籍の差別なしに選び抜かれた精華たる思想家たちの賞讃こそ、哲学者に与えられる報いである。大衆はやがて彼の名を、権威まかせに尊敬するようになってゆく。それに応じて、そして哲学の歩みが全人類の歩みに及ぼすゆっくりとした、しかし深い感化のゆえに、哲学者たちの歴史は数千年以来、列王の歴史と並びすすみ、そして後者の百分の一ほどのわずかな名をかぞえているにすぎない。してみれば、その中でわが名のために不朽の位置をかちうるということは、やはり偉大なことなのである。[2]
  •  哲学の歴史を研究して哲学者になれると思っている人々は、むしろその哲学史から、哲学者も詩人とおなじく天賦にしてはじめて成るものであるということを、しかもその誕生が詩人よりも遥かに稀であるということを学んだ方がよいであろう。[3]
  •  哲学において、前提のない方法と称されるものは、すべてまやかしである。なぜなら、ともかく何かを与えられたものとみなさなければ、どこからも出発しようがない。「われに立所を与えよ」という有名な言葉は、つまりこのことを言っているのであって、これは人間のあらゆる活動の必須条件であり、哲学的思索のはたらきさえも、この例にもれるものではない。けだし、われわれ人間は、肉体的にも精神的にも宙に浮かんでいることはできないのである。[4]
  •  自分の全能力をある特殊科学にささげるためには、この学問への大きな愛が必要であるが、しかしまた、他のすべての学問に対する大きな無関心も必要である。なぜなら、これらすべての学問において無知のままでいるという条件のもとで、はじめてひとつの学問に専念しうるからである。ひとりの女をめとる人が、他のすべての女に断念するのと同様である。それゆえに、第一級の精神の持ち主たちは、決して特定の専門科学に身をささげないであろう。全体への洞察を、あまりにも深く心にかけているからである。彼らは、将軍であって隊長ではなく、オーケストラの指揮者であって演奏者ではない。[5]
  •  独創的で非凡な、場合によっては不朽でさえあるような思想を抱くためには、しばらくの間世界と事物とに対して全然没交渉になり、その結果、ごくありふれた物事や出来事さえも、まったく新しい未知の姿で現われてくるというようにすれば、それで足りるのである。というのは、まさにこのことによって、それらの物事の真の本質が開示されるからである。しかしながら、ここで求められる条件は、困難であるどころか、決してわれわれの自由にならないものなのであり、ほかでもなく、天才のはたらきなのである。[6]
  • 学者とは、多くのことを学んだ人のことであり、天才とは、何人からも学ばなかったことをはじめて人類に教える人のことである。それゆえに、一億人中にようやく一人というような偉大な精神たちは、人類の灯台であって、これらがなければ、人類は怖るべき誤謬と荒廃の果てしない大海に没してしまうであろう。[7]
  •  むしろ、彼が真価のある偉大非凡なものを生みだすことができるのは、自分と同時代の人々の流儀や思想見解などをまったく無視し、彼らが非難するものを平然として創造し、彼らが誉めそやすものを軽蔑するからにほかならないのである。この高慢さをぬきにしては、偉大な人物というものは、ありえない。そしてたとえ、彼の生活と活動とが、彼の真価を認識しえない時代にめぐり合わせたにしても、彼はどこまでも彼自身なのであって、そういう境遇におかれた場合の偉大な人物の姿は、みじめな宿場で一夜を過ごさなくてはならなくなった高貴な旅人に似ている。夜が明けると、彼は快活に旅をつづけていく。[8]
  •  人間の力量は、何につけても規模が限られているものであるから、いかに偉大な精神でも、このように偉大になるためには、どこか──知性においても──決定的な短所を具え、すなわちその点では、かなり平凡な頭脳にさえおくれをとるという方面をもつという制約をまぬかれない。もしもこの方面で彼が優れた性質を具えていたら、それは彼の卓越した能力の邪魔になっていたかも知れないのである。
 けれども、特定の個人についてさえ、その短所を一言で明示することは、なかなかむずかしいことであろう。それはむしろ、間接的な言いまわしで表現しうるものなのである。たとえば、プラトンの弱味は、まさにアリストテレスの強みの存するところにあり、またその逆も真である。カントの短所は、ゲーテが偉大であった点に存し、またその逆も真である。[9]
  •  人間は、何かあるものを崇拝したがるものである。ただ、彼らの崇拝は、たいていお門違いのところで立ちどまっていて、やがて後世の人々がその間違いを直すまで、そこに停滞しつづける。そして、この是正がおこなわれたあとでも、教養大衆が天才に払う敬意は、ちょうど信徒たちが彼らの聖者にささげる崇拝のように、とかくつまらぬ遺物礼拝に変質するものである。[10]
  •  “二つの歴史”がある。すなわち“政治”史と、“文学”および芸術の歴史である。第一の歴史は“意志”の歴史であり、第二の歴史は“知性”の歴史である。したがって政治史は我々に不安を与えるばかりか、恐怖心までもひきおこす。政治史は大量の不安、困窮、詐欺、残忍な殺人に満ちている。これに反して文学史は、孤独の智者のように喜ばしい空気、晴朗な空気に満ちている。たとえ迷路を描く場合があっても、その空気に変わりはない。文学史の主要部門は哲学史である。哲学史は本来文学史の基音で、他の部門の中へ鳴り響いて行く。つまり他の文学部門の主義、主張を基本的に指導するのである。だがそれだけではない。哲学史は世界を支配する。したがって真の意味の哲学は、もっとも強力な現世的権力でもある。けれども、その支配作用の歩みははなはだゆるやかである。[11]
  •  我々の知識も見識も、他人の意見を比較し討論することによって特に増すという事は無いであろう[12]。――『第二巻 第1章 哲学とその方法』§7―討論と観察
  •  人の知っている事は、もしその人が同時に自分の知らない事を知らないと自ら認めるならば、それは二重の価値をもつ。何故なら、それによって、人が知っている事は疑念から解放されるからであり、というのは、もしも人が、例えばシェリング学派の如く、自分が知らない事をも知っていると詐称するならば、その人は知っている事をも疑念にさらすからである[13]。―『第二巻 第1章 哲学とその方法』§11―懐疑論の意味
  •  合理的な心理学というものは存在しない。何故なら、カントが証明したように心は、さながら一種の超越的な――しかも、示すことも是認するわけにもいかない――実体である。従って「精神と自然との相反」などというものは、俗物共やヘーゲル学徒達に委せたままにしておけばよい。人間の本質そのものは、唯、一切の事物、即ち世界の本質そのものと合わせてのみ理解され得るものである。それ故、既にプラトンは『フェードゥルス』に於て、ソクラテスをして、否定する意味で「お前は、世界全体の本質に関する認識をもたずに、心の本質を適宜な方法で認識する事が出来ると信じているのか?」という質問をさせている[14]。――『第二巻 第1章 哲学とその方法』§21―哲学の序説
  •  学者は決して、無学な人々を相手に論争してはならない。何故なら、学者は自分の最上の論証を無学な人々に対して適用する事は不可能だからである。というのも、無学の人々はその最上の論証を理解したり熟考したりするような様々な知識が欠けているからである。こうした困難の中で、学者が自分の論証をそのような人々に理解させようと試みても、大抵の場合失敗するであろうし、ややもすれば、無学な人々が或る誤った粗野な対論証によって、彼等と全く同様に無知な傍観者たちの眼には正当であるように思われることもあるだろう。それ故、ゲーテはこう述べている。
 「お前はたとえ、僅かな時間でも反対論に誘惑されてはならない。賢者も無知な輩と諍うならば、自ら無知に堕ちるであろう。」――『西東詩篇・金言集』―第27章
 なお、相手が理性にも悟性にも乏しい場合、事態は更に悪化する。何故なら、彼はこれ等の欠乏を、真理や教訓へと向けて真正直な努力によって補う事があればよいが、概ねそうではないから、彼は最も鋭敏な部分を損なわれた様に感じる。そうなると、彼と論争する者は、すぐさま彼がその論争をもはや、彼の知性をもって行おうとする事をせず、人間の内に潜む過激派、即ち彼の意志をもって行おうしている事に気づくだろう。彼の意志にとっては、この際、是が非でもper fas oder per nefas自分の勝利を確保しようという事だけが存在し、それ故、彼の悟性は唯一筋に様々な策略・奸計、そして不誠実さへと向けられ、その後、これ等のものによって駆り立てられつつ、彼は自分の劣敗感を償う為、かつ論争者の地位や関係に従い、精神の闘争を、即ち、彼自身にとってより多くの勝算を望めるに違いない肉体的闘争へと移す為、結局、暴力沙汰にまで及ぶ事になる。我々が狭い悟性を持つ相手と論争してはならない、という第二の規則が存在するのはそれ故である[15]。――『第二巻 第2章 論理学と弁証法』§5―討論の方法

『幸福について』

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  •  他の人々の意想のうえにあまりにも多くの価値をおく事は、一般に行われている妄想である。(……)
     即ち、私達に対して直接には決して存在しないものを、こんな具合に直接に尊重する事があるならば、これこそ、その努力の空虚と内容の無さ加減とをいいあらわす為に、虚栄心と名付けられた愚かさである[16]。――第四章「人が表象するものについて」
  •  自尊心のなかで一番安っぽいものは、国民的自尊心である。というのは、この自尊心はこれに取りつかれた人々には自身で誇るに足るだけの個人的特質がかけていることを我知らず露わにしているからだ。(……)
 自分が誇り得るようなものを他にはなにもこの世において持たない・憐れな愚物は、自分の所属する国民を自慢するという最終手段を採る。(……)
 とにかく人の個性は国民性よりも遥かに重要であり、或る興えられたる人間を見る場合には、個性は国民性に比べて千倍もより多く顧慮する値うちがある。国民性とは、多数についていうものだから率直にいえば、名誉なことだといって褒められるような良いところは、決して多くあるわけのものではなかろう。むしろ人間の狭さ・不合理・悪さが、各国において或る異なった形式で現れているのであって、これらのものを称して国民性というのである[17]
  •  もとより罵詈する人は、それによって彼が他人に対し、何らの事実をも真相をも発表することができないという事をさらけ出しているわけだ。ではなくて、もし事実や真相を提出できるものなら、それを前提として興え、そして結論は安心して聴衆に委せておくだろう。ところが、その代りに彼は、結論だけを興えて、前提は借りっぱなしにしておく。しかも、彼はこうする事が気のきいた簡便法らしく推測される事をあてにしているのだ[18]。――第四章「人が表象するものについて」
  •  粗野はすべての論証に打ち勝ち、一切の精神の光を失わしめる[19]。――第四章「人が表象するものについて」
  •  騎士的名誉は驕慢と痴愚との産んだ皃である[20]。(……)
 騎士的名誉の原則は、大にしては不正直と邪悪との、小にしては無作法・無遠慮・粗暴の安全なる避難所ともなる[21]。(……)
 最初から騎士的名誉原則の迷信に縛られていなければ、誰もがよもや罵ったりする事によって、他人の名誉から何かを奪ったり、或いは彼自身の名誉に何かを取り返したりする事が出来るなどと思い違いするものもあるまい。(……)
 全ての不正・野卑或いは粗暴が我が物顔にのさばり出るような事はよもやあるまい。そして、誹謗や罵詈に関する限り、この争いでは敗北者こそ勝利者であるという見識が、やがて一般的のものとなるだろう[22]。(……)
 極めて粗野であった中世の諸時代から、十九世紀へと紛れ込んできた・暴力権利のあの断片・決闘が、この世紀にあっても相変わらず、公然たる悪徳として横行濶歩しているが、やがては、罵られ辱められて放逐される時節が到来しよう。今日でも、合法的に犬や鶏を嗾けて闘わせることは、決して認可されてはいないのに、人間ともあろうものが、意志に逆らって、死ぬかも知れない闘争に嗾け合わされようとは。嗾けるものは、騎士的名誉という悖理的原則の嘲笑すべき迷信であり、ほんの些々たる原因から、剣闘士達のように闘い合う義務を負わせる・あの名誉原則の擁護者と管理人とである[23]。(……)
 私は騎士的名誉に対して長々と述べ続けてしまったが、しかし、これは善い意図でやった事であるし、また何といっても、この世にある道徳的・知性的怪物を退治するただ一人のヘラクレスは哲学なのだから[24]。――第四章「人が表象するものについて」(5)
  •  主として二つの事柄によって、近世の社会状態は古代の社会状態から区別されているが、その勝負が近世の社会状態の負けであるというのは、その二つの事柄が近世に辛い、暗い、邪悪い色彩をあたえたのに、そんな色彩に染められていなかった古代は、生命の朝のように晴れやかな、のんびりした容姿で立っているからだ。その二つの事柄とは、騎士的名誉原則と花柳病とである。―なんと立派な兄弟だろう!
 その二つの事柄こそ相携えて生の「抗争と愛情」に毒を盛ったものなのだ。花柳病は、一見しただけでは分からないほど、遙かに広く、その影響をおし及ぼしている。けだしその影響は、決して単に肉体的のものにとどまらず、精神的のものでもあるのだ。(……)
 この影響に類似したものに、しかも全く種類の異なるものだが、騎士的名誉原則、真面目くさった茶番狂言の影響がある。この名誉原則は、古代人には縁のないものであったが、一方現代社会はこれがあるがために、強ばった、厳つい、いらいらしたものになり、もはやその場限りの発言でさえ、いちいち吟味したり、反芻したりしてみなければならないことになってしまった。いや、このぐらいですむものか!(……)
 だから今こそ、この怪物に対して、私がここでやっているように、大胆な攻撃が行われなければならない時である。願わくば近代のこの二つの怪物が、十九世紀のうちに、絶滅せられんことを![25]。――第四章「人が表象するものについて」(6)
  •  社交を必要としない程に、多くのものを自分自身に持つという事は、それだけで一つの大きな幸福である[26]。(……)
 孤独は人間にとって自然的なものではない。というのは、人間はこの世に生まれた時から一人きりではなく、両親もあれば兄や姉もあろうし、それだけで既に共同体の内にいる事になっているのだから。この事から推しても、孤独に対する愛着は原始的な心の傾倒として存在するものではなくて、経験と省察との結果、初めて成立したものといえる。そして孤独に対する愛着は、自己の精神的な力が発達する程度に応じて、同時に年齢の増加にも応じて出来上がったのだろう。だから、全体から見て、全ての人それぞれの社交的本能は、その人の年齢に反比例する事になるだろう[27]。(……)
 離れ住まいと孤独とに向う心の傾向を育てるものは一種の貴族的な感情である。総ての人間の屑は社交的である――憫れむべきかな[28]。――第五章「勧告と箴言」B. 私達自身に関する私達の態度§9
  •  人間の中で生活しなければならない人は、如何なる個性でも、一度自然から決められ授けられた個性であるからには、たとえ、それが極めて劣悪な・ごく惨めな、或いは滑稽千万な個性であっても絶対に排斥してはならない。(……)
 しかも、その個性の種類と性質を在るがままに委せておきながら、これを利用するように専ら心掛けるがよい。なお、その個性の変化を待望したり、また在るがままの個性を無雑作に駄目などと貶したりしてはならない。(……)
 ―それはとにかく、人は、人間に耐えることを習う為には、無生物を相手に自分の忍耐力を修練するのがよい。無生物は、機械的に、或いはその他の物理的な必然性によって私達の行為に対し頑強に抵抗するものだし、これを相手に修練する機会は毎日のようにあるのだから。かくして獲られた忍耐を段々と人間に応用する事を練習するのだが、それには私達の邪魔をしたがる人々もまた、あの無生物がそれで作用する必然性と丁度同じ様な彼等の天性から出てくる・厳粛なる必然性によって、そうしないではいられないのだから、彼等のやり方について腹を立てる事は、あたかも私達の歩く道に転がっている石に文句を言うようなもので、馬鹿げきった事だと考える習慣を養成するのである[29]。――第五章「勧告と箴言」C. 他人に対する私達の態度§21
  •  全体から見て、ずっと昔からいい慣らわされているように、極悪無慈悲な世の中では、野蛮人は喰いあっているし、文明人は欺しあいをやっているのであり、これを名付けて人生の行路というのだ。そもそも、国家とは、その内外に向けられた一切の人工的な機構とその権力手段とをもって、人間の際限もない不正義を抑制する柵を設けるための予防装置より以外の何ものだろうか?私達は、全ての歴史のうちに、全ての王者が自分の地位が確立し、自分の国が若干の繁栄を享けるやいなや、彼の軍隊を提げて、まるで盗賊の寄り集まりのように、隣の国々を侵略するために国力を利用したのを見ないだろうか?そして、殆ど総ての戦争は、本質的に掠奪行為ではないだろうか?古代の初期とある時期までは中世においても、戦敗者は戦勝者の奴隷となったのであり、言い換えれば結局、戦敗者は戦勝者のために働かねばならなかったのだ。しかも、軍隊の税を支払う人々も同じことをさせられる次第である。つまり、彼等は以前の労働の収益を差し出すのだから。「如何なる戦争であっても、総て、盗みにほかならない」とヴォルテールはいっているが、ドイツ人たちはそれを常に自身に言いきかせておかねばならぬ[30]。――C. 他人に対する私達の態度§30
  •  犬というものは、鏡のうちでは自分自身を見ていることを知らないで、それを他の犬だと思っているから吠えるのだが、他人の粗探しをする人は、実は自分を改良しているのだ。(……)
 マタイ伝は「他人の目の塵を見て、おのが目にある梁木を認めぬか」と正しくも美しく訓えているが、眼の天性は、外部を見て自分自身を見ないように作られているのだ[31]。――C. 他人に対する私達の態度§31
  •  如何なる人の意見をも反駁するな。(……)
 というのは、人を怒らせることは容易いが、彼等を改善するのは、たとえ不可能ではないにしても、極めて難しいことだから[32]。――C. 他人に対する私達の態度§38
  •  人々は、それ以外では何ら特別な明敏さをあらわさないのに、他人の個人的な事件となると、卓越せる代数学者のように、こうした場合に、たった一つの与えられた量によって、極めて複雑なる諸問題をも解くものだということを知らねばならない[33]。――C. 他人に対する私達の態度§42
  •  日常の様々な煩累・人間的交渉のうちにある瑣末な摩擦・意味もない衝突・他人の不作法・陰口三昧などに対しては、人は不死身のジークフリートになりすます方がよい。言い換えれば、このようなことには一向感じないことにせよ、まして、気にかけたり、とつおいつ思い悩んだりしない方がよい。それよりも、これらすべての何ひとつをも近寄らせないで、これを路上に転がっている小石のように蹴飛ばして、決してこれを自己の熟慮や反芻の内部に取り入れてはならない[34]。――C. 他人に対する私達の態度§51
  •  吠陀奥義書には、自然の寿命は100歳と定めてある。私はもっともだと思う[35]。――第六章「年齢の差異について」

『意志と表象としての世界』

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  • 哲学的思想は、ただその思想を創始した人自身から受けとることができるだけである。だから哲学を勉強したくてたまらない人は、哲学の不滅の教師を、その教師の著作それ自体という、もの静かな聖殿の中に探したずねなければならない。不滅の教師ともいうべきほんものの哲学者なら誰でもいい、その人の主要な章を読めば、それについて凡俗の頭脳が作製した冗漫で斜視的な解説文よりも百倍も多くの洞察が、その人の教えについて得られるであろう。さらにつけ加えていえば、凡俗の頭脳はたいてい深くそのときどきの流行哲学にとらわれ、自分らの思いこみにとらわれているものなのである。それなのに、まったく呆れたことだが、読者階層はじつにきっぱりと、他人の手になる解説祖述には好んで手を出したがるのである。こういう場合、実際には、親和力がはたらいているらしく、平凡な人は親和力のおかげで、自分に似た人に牽きつけられるのであり、したがってまた偉大な精神の持主が語ったことですら、自分に似た人から聞き出したがるのである。ひょっとするとこのことは、子供たちが、一番よく学ぶのは自分の仲間からであるという、相互教育のシステムと同じ原理に基づいているのかもしれない。(一八四四年二月、第二版への序文)[36]
  • 普通の人間、自然が毎日幾千と作り出す工場製品が如き人間は、あらゆる利害を離れた客観的な考察ーこの考察こそが静観なのだがーを行う能力を持たないものである。少なくとも長時間行う能力だけは絶対に持たない。これらの意識をとらえるものはなにがしか自分の意志に関連するものーたとえそれがどれほど間接的であろうともーである。)[37]

脚注

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  1. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)11ページ
  2. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)14ページ
  3. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)18ページ
  4. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)58ページ
  5. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)85ページ
  6. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)134ページ
  7. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)135ページ
  8. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)140ページ
  9. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)145ページ
  10. ショーペンハウエル『知性について-他四篇』 細谷貞雄訳(岩波書店岩波文庫〉、1961年)146ページ
  11. ショウペンハウエル『読書について-他二篇』 斎藤忍随訳(岩波書店岩波文庫〉 改版1983年)140ページ
  12. 石井(1954)p.15
  13. 石井(1954)p.22
  14. 石井(1954)pp.34-35
  15. 石井(1954)pp.42-44
  16. 石井(1951)pp.66-67
  17. 石井(1951)pp.73-74
  18. 石井(1951)p.78
  19. 石井(1951)p.93
  20. 石井(1951)p.102
  21. 石井(1951)p.104
  22. 石井(1951)p.106
  23. 石井(1951)p.111
  24. 石井(1951)p.115
  25. 石井(1951)p.115-116
  26. 石井(1951)p.170
  27. 石井(1951)p.171
  28. 石井(1951)p.173
  29. 石井(1951)pp.200-201
  30. 石井(1951)p.216
  31. 石井(1951)p.220
  32. 石井(1951)p.230
  33. 石井(1951)p.232
  34. 石井(1951)p.246
  35. 石井(1951)p.277
  36. ショーペンハウアー『意志と表象としての世界Ⅲ』 西尾幹二訳(中公クラシックス2004年)275〜276ページ
  37. ショーペンハウアー『意志と表象としての世界Ⅱ』 西尾幹二訳(中公クラシックス

参考文献

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外部リンク

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